江戸弁の「ひ」と「し」の混同
江戸っ子の定義は『擬宝珠のついた橋の内側で生まれ、ここの産湯を浸かり、三代以上続いて江戸に住んでいる』というのが諸説の一つとして挙げられています。私はこの定義に当てはまると公言していますが、実は少しの嘘があります。生まれは疎開先の埼玉県久喜。生後1ケ月余(?)で日本橋に戻って昭和20年3月10日の東京大空襲に遭遇したという話を両親から聞いていますので、江戸の産湯を浸かっていません。1ケ月ずれて日本橋の水道を沸かした風呂に入っているので、「江戸っ子」90%かな?
私の江戸っ子事情は兎も角、子供の頃我が家庭には(ず~~と昔の話ですが)江戸弁が大いに流通していました。両親とも日本橋茅場町の生まれなのでどっちもどっちですが、特に父親は「ひ」と「し」の区別がつかず、渋谷に行くのか日比谷に行くのか何度聞いても判らない。
江戸っ子の「ひ」と「し」の混同というのは一般に知られていますが、「真っすぐ」を「真っつぐ」「真っ青」を「真っつぁお」という「さ行」と「た行」の混同というのも良く遭遇しました。急に「真っつぐ」なんて言われても、話についていけないことがしばしばでした。駕籠屋さんとの会話で『まっつぐ行っておくれ』なら、通用するでしょうが。
私個人は親の発音のひどさを意識していましたから、子供の頃から「ひ」と「し」の区別は徹底していました。今でも年に1回程度はタガが外れて「ああ、やっちまった」と思うことがありますが。
「ひ」と「し」の発音
江戸言葉(江戸弁)は町人社会で発達した言葉です。江戸時代の江戸町人が使用した言葉の特徴を引き継いでいることから「江戸言葉」と呼びますが、職種によって細かな言い回しの違いがあります。例えば職人社会では「べらんめえ調」を盛んに用いたのに対し、商売人は「べらんめえ調」は使用しませんでした。うちの親父は商売人に属していましたので、私の僅かに出てくる江戸弁も「商売人調」なのでしょう(確かめるすべもありませんが)。
2021年4月に豊橋科学技術大学工学系の吉永助教授と飯田昭教授、国立国語研究所の前川義久教授の研究チームが、「東」を「シガシ」、「髭」を「シゲ」などと話す現象を研究し発音のメカニズムを明らかにしました。研究成果の一部を紹介しましょう。
「ヒ」と「シ」の発音時の舌の前後の位置はほぼ同じですが、舌の左右方向の形状が異なることで「ヒ」と「シ」の子音の違いが生まれることを突き止めました。これまで「音声学」では、主に子音については舌の前後方向の位置の違いで分類していましたが、左右方向の舌の形状も重要だということが新たな発見となりました。これが「ヒ」と「シ」の混同の原因にもなり得るということです。
ずぼらな江戸っ子はこうしてヒとシを混同して使ったのでしょうが、江戸っ子以外にも国内に「ずぼらな人種」はいるのになぜ江戸っ子だけが「ヒ」と「シ」の区別が出来なくなったでしょうか?素朴な疑問は益々増すばかりです。
【参考文献】
国立大学法人豊橋技術科学大学: 『「ヒ」と「シ」の発音を混同するメカニズムをリアルタイム MRI とスーパーコンピュータにより解明』吉永司助教、飯田明由教授と国立国語研究所の前川喜久雄教授か