江戸の食文化を伝える調味料。煎酒(いりざけ)
2021年、「第1回中央区推薦土産品 食部門」に、銀座三河屋さんの「煎酒」が認定されました。
中央区を代表する魅力あるお土産品として、応募・投票により選ばれたものです。
さて、「煎酒」とは。
皆さんはどんな物かご存じですか。
煎酒は、日本酒にかつお節と梅干を加え、ことこと煮詰めて作る調味料です。
江戸の食文化やお勧めのレシピをお伺いしたくて、銀座の金春通りに店舗を構える、銀座三河屋さんを訪ねました。
代表取締役社長の神谷修氏が、時間を作ってくださいました。
『煎酒は、寛永20年(1643年)に発行された、日本最古の料理書といわれる「料理物語」に、作り方が具体的に記されています。
室町時代の末期から、江戸時代の文化・文政のあたりまで、日本料理の重要な調味料として用いられていたのです。』
「重要な調味料として用いられていたにも関わらず、あまり知られていない煎酒。
江戸以降も、地道に作り続けられていたのでしょうか。」
途絶えていたのです。
『理由は幾つか考えられますが、一つは保存期間が短かったこと。
それから江戸の町人は、城や大名屋敷の普請や荷物の運搬など肉体労働が主要な仕事だったこともあり、より塩分の濃い物を好んだのでしょう。
江戸中期以降になると醤油醸造技術が普及し、生産地の野田や銚子から水運を利用して安く手に入るようになりました。
江戸の町の人達の好みと塩味の強い醤油が合致し、一挙に煎酒から置き換わっていったのでしょう。』
途絶えていた煎酒を、よみがえらせる。
『三河屋の創業は、元禄年間にさかのぼります。
勤め人だった私が事業を引き継いだときは、和装品を商っていましたが、時流に合わなくなっていました。
新しい事業を立ち上げるとき、三河屋が創業から歩んできた江戸の文化を、「食」で伝えたいと思いました。』
『江戸の食に関する、いろいろな文献に当たりました。
その中で、煎酒と出会ったのです。
健康食として優れたものであり、復活させたいと思いました。
江戸料理研究の第一人者の福田浩さんからアドバイスをいただき、野田市のキノエネ醤油さんとの研究を重ねて、復活することができたのです。』
『健康志向の高まりとともに、和食が世界的に注目されるようになりました。
これからの時代、求められるものはこれだなと思い、江戸の食(スローフード)をコンセプトとしました。』
「商品化を進めていく中で、どんな苦労がありましたか。」
『基本となる原料は、日本酒とかつお節と梅干なのですが、いざ作って見ると、梅干から濁りが出てしまうのです。
試行錯誤のうえ、梅酢を使ってみました。
紀州南高梅の質の良い梅酢。
梅酢の透明感で、色も香りも落ち着きました。』
『江戸食の復活ということが話題となり、雑誌やテレビで取り上げていただく機会が増えました。
じわじわと、お客様にも知っていただけるようになってきたのです。』
「三河屋さんのホームページには、煎酒を利用したたくさんの料理レシピが載せられていますね。」
『おいしいレシピを提供していくことが、煎酒のファンを広めていくことだと思っています。
実はレシピの半分は、お客様からのいただき物なのです。
こんな使い方をしてみたら美味しかったよと、教えていただけるのです。』
「社長が一番好きな、煎酒を利用した料理はなんでしょうか。」
『それは、卵かけご飯。
炊きたてのご飯に卵をほぐしてかけ、わさびを少しのせて、煎酒を垂らします。』
神谷社長の顔が、一段とほころびました。
ほかほかの卵かけご飯の色や、香りまで想像できてしまう様なお話です。
神谷社長その人をブログに取り上げたくなりました
『私の本籍は、銀座八丁目です。ここが本籍という人はあまりいないでしょう。』
と、いたずらっぽく笑います。
『子供の頃は、柳橋にも店舗があって、そちらに住んでいました。
その頃の柳橋は、新橋と並ぶ花街です。
学校の勉強をしていても、お座敷の三味線の音や芸者衆の歌も聞こえてきましたよ。
お祭りの時には、市丸さんが歌っていましたね。
中央区と港区の境に高速道路が作られる前は、堀割が通っていました。
柳橋から船に乗り、隅田川から堀割を通って、今の銀座博品館の所まで来たこともあるんです。
路面電車も走っていましたが、船で通ったことのある人は少ないかな。』
一層、目を細めます。
江戸時代から続く老舗を、銀座で繁盛させていくということは、並々ならぬご苦労もあったことと思います。
「業態を変更し、新しい事業を始めることに、抵抗はなかったですか。」
『老舗を継いで行くのには、大きく二つのあり方があると思うんです。
一つは、創業からの家業を変えずにしっかりと伝えていくこと。
もう一つは、世の中の流れを見据えて事業内容を変えながらも、本質を変えずに「のれん」を守ることです。
三河屋はこれまで、酒商、油商、糸商、和装品、そして食とその業態を変化させてきました。
しかし、江戸文化を伝えるという、老舗として歩んできた伝統は受け継いでいると思います。』
『三河屋で扱う商品の選択は、とてもシンプルなんです。
日本伝統の江戸の食文化を伝えるもの、白飯を美味しく食べるためのもの、からだに優しい味のもの。
そうしたものを集めたセレクトショップ。
ですから食材だけでなく、江戸の食文化の書籍なども、店内に並べています。』
「平成15年に江戸食(スローフード)の業態に変更し、20年が過ぎました。
これから目指すところは、どんなことでしょう。」
『家庭で食卓を囲んだ、一家団欒という食のスタイルを、再び作り出したいと思います。
私の両親は商売をしていましたから、一緒に食卓を囲むことなど極めて少なかったのです。
現在は個食の時代などといわれていますが、「食」を通して、家庭の温かさコミュニケーションを見つめ直す機会がつくれたら良いですね。』
神谷社長は、少し遠くを見るように、話してくださいました。
『食べることが好きだから、食を選んだのかな。』
と笑う神谷社長。
「この人が商う品ならば、絶対美味しいよね」と納得してしまう力がありました。
◆ 公式ホームページ 銀座三河屋 (ginza-mikawaya.jp)
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