鉄砲洲神社 御用材奉曳式

1999年5月9日 鉄砲洲神社御用材奉曳式(ごようざい  ほうえいしき)です。

出発時の神事の写真です。

 

 

 鉄砲洲神社 御用材奉曳式

2022年の鉄砲洲神社例大祭はいつものようにゴールデンウィークです。

東京で一番早くに行われる夏祭りと言われます。

今年は祭礼期間前の4月30日と5月1日に旧三原橋の歩道脇に御本社神輿が展示されました。

初の神社外展示は晴海通りに面した銀座の地でした。

 

5月3日は疫病退散神幸祭でした。

御鳳輦と一緒に、台車に乗せた御本社神輿が各氏子町会を巡行しました。

まだ担ぐことは出来ませんでしたが神社の外で御神輿を見ることが出来ました。

 鉄砲洲神社 御用材奉曳式

鉄砲洲神社の御本社神輿が造られたのは大正時代です。

神輿庫の脇に

 延屋根 平屋台 台輪 四尺一寸五分

  と掲示されています。

延屋根は鉄砲洲神社の神殿の屋根を模した形状です。

平屋台は台輪から直接、胴が構成されている形式だそうです。

台輪とは一番底辺の部分で、四尺一寸五分は約124.5センチ。

都内で有数な大きさの神輿と言えると思います。

 鉄砲洲神社 御用材奉曳式

御本社神輿は八丁堀の秋山三五郎商店の初代当主秋山三五郎(サンゴロウ)さんの製作です。

彼の製作した神田多町の御神輿は国立博物館に保存されている重要文化財です。

現在は四代目が後を継いでいらっしゃいます。

 

 

 鉄砲洲神社 御用材奉曳式

大正時代、入船の材木商三上喜一郎商店が御神輿の担ぎ棒を寄贈しました。

上記は関東大震災前の材木商の写真です。

以来、戦争を挟んで昭和25年ころまで御神輿が出されていました。

昭和30年代まで鉄砲洲神社のお祭りはゴールデンウィークでは無かったと思います。

 

その後、しばらく御本社神輿が担がれることはありませんでした。

 

平成12(2000)年、鉄砲洲神社が御鎮座千百六十年を迎えるにあたり例大祭にて御本社神輿を担ぎ出そうと弥生会が結成されます。

 鉄砲洲神社 御用材奉曳式

平成11年に、担ぎ棒が和歌山県の林業のオーナーと前回の三上材木店から寄贈されました。

そこで、まず担ぎ棒をお披露目することとなり、御用材奉曳式が行われました。

 

5月9日の日曜日 朝の9時半に 明石町の聖路加ガーデン前で神事を執り行い、神社に向けて鉄砲洲通りをパレードが出発しました。

 

プラカードに続き 

 鉄杖(てつじょう)と 木遣連(きやりれん) が先達します。

  木遣は江戸消防記念会第一区六番組の方達です。 

 大幣(おおぬさ) 塩湯(えんとう) 御用材旗 と続きます。

  そして 弥生会会員 氏子町会 敬神婦人会 が歩きます。

 鉄砲洲神社 御用材奉曳式

次は御用材が台車に乗せられて通ります。

花棒と横棒、添え棒 になります。

真横に付き添うのは、最後に担ぎ棒を仕上げる工務店の社長です。

 鉄砲洲神社 御用材奉曳式

赤いオープンカーに宮司、総代会長、婦人会会長 

 白いオープンカーには担ぎ棒の奉納者です。

ゆっくりゆっくり進みます。

 鉄砲洲神社 御用材奉曳式

一時間以上をかけ、地元にお披露目されて神社に戻りました。

 

神事が行われて後、御用材は工務店に届られました。

御神輿も修理のため金属工芸社に運ばれます。

いったん解体され鉦りもすべて洗い、雨に耐えるコーティングをしました。

新品同様になって翌年、各氏子町内(銀座→新富→入船→明石町→湊)を渡御されます。

50年振りのことでした。

 

このような儀式が行われることは二度と無いかもしれません。

中央区の持つ伝統とその場にいられたことの幸せを感じました。