ちょっと気になる中央区の神社 続編⑭
~ 熊谷稲荷神社 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
ちょっと気になる中央区の神社シリーズ、こちらは本年3月27日に、第13回をもって終了とさせていただきました。
しかし銀座地区であと2社、忘れ物のような2社がご紹介未済となっておりましたので、このシリーズの追加をさせていただきます。
第14回としての今回は、「熊谷稲荷神社(くまがいいなりじんじゃ)」です。
なお、こちらも「銀座八丁神社めぐり」の一社です。
それでは・・・
御由緒
遠く東海道の要路に当り、里俗(りぞく)の崇敬する稲荷神社にして、建久の昔、武将熊谷次郎直実卿源平合戦の後、鎌倉より今の熊谷市に凱旋の途次、此の地の里人請わるるままに、護持の神礼を授けられて、尊崇し給うと伝う。
斯(か)くて江戸の地、開発と共に当地(木挽町6丁目東豊玉岸地=現在銀座7丁目地)に祭祀、当町世々鎮守として7百有余年町民衆庶の信仰する処となり今日に至る。
特に、開運、防火の守りの霊験著しきを伝え聞き、近隣各地より信仰帰依する者尠(すくな)からず、又大東亜戦に於(おい)て戦火迫るに及び先世話人竹本金太郎妻女、安全の地に御神体を奉じ移らんとせしに、急に重みを感ず、是(これ)神意のお告げと覚(さと)り火中に留まる。
幸い神護を得て無事社殿と共に戦禍を免れたり。
昭和25年町民各位の発起に依り、破損の社殿を改築神意を休め奉(たてまつ)る。
昭和63年10月再度改築、現在に至る。
茲(ここ)に私共町民の、安寧幸福の神として仰ぐ次第なり。
熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)とは・・・
平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて活躍した熊谷郷の武士。
源平の合戦での活躍が有名で、源頼朝をして「日本一(ひのもといち、と読むのが筋かと)の剛の者」と称えられました。
しかし一の谷の戦い(1184年)で、自分の息子と同年代の平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取ってからは戦場に姿を見せなくなり、出家して名を「法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)」と改め、法然上人(ほうねんしょうにん)の門に入り、修行に励みました。
その数奇な一生は、「平家物語」や歌舞伎・浄瑠璃など文学や演劇の世界でも語られています。
晩年、熊谷に戻った蓮生が念仏を唱えるために建てた草庵が、現在の熊谷寺(ゆうこくじ)の始まりと言われています。
ー 埼玉県熊谷市ホームページ より ー
・・・今話題のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では熊谷直実はスルーされましたが、同大河ドラマ・1972年の「新・平家物語」では岡田英次さん、1979年の「草燃える」では長沢大さんが、熊谷直実を演じておりました。
また、埼玉県熊谷市を中心とした地域では、熊谷直実は今も良く知られている人物です。
民謡でも「直実節(なおざねぶし)」というのがあります。
直実節
1. 秩父の峰の雪白く 名も荒川の風寒し
ここ武蔵野の大里(おおさと)は 関東一の旗頭(はたがしら)
直実公の ふるさとぞ
一の谷の軍(いくさ)破れ 討たれし平家の公達(きんだち)あわれ
暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛
2. 源平須磨の戦いに 花も恥じらう薄化粧
智勇兼備の将なれば 敦盛の首討ちかねて
無常の嵐 胸を打つ
3. 人生うたた五十年 夢まぼろしに似たるかな
今は栄位(えいい)も何かせん あまねく人を救わんと
その名も熊谷 蓮生房
4. 流れて早き年月(としつき)に 武蔵野山河(さんが)変わるとも
坂東武者の精神(こころね)は われらが胸に今もなお
生きてぞ通う 直実節
ロズマリ懐古・・・
昔昔その昔、地元の盆踊りの場で太鼓をたたいていた頃、この唄『直実節』に出会いました。もちろんたたきました。
とても耳に残る唄でした。踊りまでは憶えていませんが。
ただ、歌詞の意味は昔より今の方が、よくわかる気がします。
平敦盛にとって、「一の谷の戦い」は初陣でした。
源義経の軍に攻めたてられた平家軍は、味方の船に逃れます。敦盛も船に向かいます。
そこに現れた義経軍の武者・熊谷直実は、見知らぬ若武者(敦盛と知りませんでした)に「敵に後ろを見せるのか」と呼び止めます。
若武者は勇敢にも戻ってきて、二人は一騎討ちに。
直実に分があり、若武者を組み伏せます。よく見ると自分の子と同じくらいの年、薄化粧の美少年。
直実は名乗りますが、若武者は名乗りません。「首をとって誰かに尋ねてみよ」と。
この若武者を、直実は逃がそうと一瞬考えます。
しかし背後には味方の義経軍が迫っています。自分が逃がしても、この若武者は結局逃げられないと思いました。
仕方なく首を切ります。
後に、平清盛の甥・敦盛とわかります。16才。
身に着けていた笛は「小枝の笛(さえだのふえ:『青葉の笛』とも言われています)」、前夜あの敵軍から聞こえていた笛の音はこれだったのか、と。
直実は出家を決意します。
「アツモリソウ」と「クマガイソウ」
「アツモリソウ」「クマガイソウ」という、日本特有の多年草があります。
どちらもラン科アツモリソウ属。
花の形はよく似ていますが、クマガイソウの緑色に対し、アツモリソウは少し目立つ赤紫色をしています。
アツモリソウが日当たりの良いところに咲くのに対し、クマガイソウは日陰を好みます。
そしてクマガイソウの袋状の唇弁が、直実が合戦の折、背中に背負っていた母衣(ほろ)に似ていた、とか。
ここのあたりがネーミングされた所以かと。
とても趣きがありますね。
熊谷稲荷神社
銀座7-12-9