②べったら市の起源
2024年7月24日早朝の宝田恵比寿神社です
我々住民のみならず、付近の企業様に勤務されている社員様なども毎朝宝田恵比寿神社に頭を下げに来ておられます。
まさに日本橋本町の顔とも言ってよい、由緒正しき神社です。
前回ブログより、いよいよべったら市2024までのカウントダウンが始まっておりますが
今回は、そもそもべったら市とは何なのか、起源について説明していきたいと思います
①べったら市まであと100日!
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5117
起源は恵比寿講です!
と言っても、恵比寿講って何なんだよ!!っていうのが普通の感覚かと思いますので
恵比寿講について説明していきたいと思います
恵比寿講とは、早い話、年中行事として恵比寿様を祀る庶民信仰です。
「講」という言葉は、信者の集まりという意味でして、すなわち恵比寿講とは恵比寿様を信じる信者の集まりということです。恵比寿講が行われる意義としては、恵比寿様のご利益である商売繁盛を願ってのことです。
従って、多くの財を成したい江戸の商売人たちの間で広く行われていたイベントな訳です。
日程としては関東では10月20日と1月20日の年2回またはいずれかに年1回開催することが多いです。大体、10月の方が盛んです(何故かと言うと収穫の時期が近いため)
具体的には商家で恵比寿様を祀り、親類・知人を招いて招いて行った、とされております。
こういうのを福神信仰と言います。
※恵比寿様って、お分かりになりますでしょうか。七福神のうちの一つです
あの正月とかになると船に沢山の神様が笑顔で乗っかっているやつってあるじゃないですか、あれのうちの1人です。エビスビールの柄を想像いただけると良いかと思います。
福神というと有名アイドルグループの立ち位置を想像する人が最近多いみたいで、時代は変わったな、と思います
七福神も福神様によって役割は色々異なります
恵比寿様は商売繫盛の福の神様と言われておりまして、江戸の商家からの信仰が大変厚く、このような恵比寿講が行われていたのです。
その毎年10月20日の江戸の商家にとって大事な大事な恵比寿講
その前日10月19日には、市が立ちまして恵比寿講にお供えしたりする様々な物(魚、打出の小槌、切山椒、神棚 などなど多岐に渡る)が広く販売された、と言われています。
それがべったら市の起源である恵比寿講なんです。
前回ブログで10月19日 20日の固定である という旨の説明をいたしましたが
その理由は上記になります。土日とか平日とか、そういう訳ではないんですね。
恵比寿講自体は別に中央区に限ったイベントではございません。全国各地で恵比寿講は行われておりまして、東京でしたら渋谷区にあります恵比寿神社などにも恵比寿講はございます
これがべったら市の起源である恵比寿講についての説明となります
では、なんでそれがべったら市になったのか、等は次回以降また説明していきたいと思います