土佐藩築地藩邸
司馬遼太郎著『竜馬がゆく』を読み返しました。
坂本龍馬は、嘉永6年(1853年)と安政3年(1856年)の2度、江戸へ剣術修行に出ています。
江戸に出てきた当初は、土佐藩鍜治橋藩邸で起居し、ここから桶町(中央区八重洲2丁目8番先)の千葉定吉道場へ通っています。その後「築地藩邸」に移ったようです。『竜馬がゆく』では、「竜馬は、鍜治橋の藩邸から築地の藩邸に移されていた。竜馬だけでなく、わかい藩士のほとんどが、築地、品川の二つの下屋敷に移されたのである。これは黒船の江戸湾侵入に備えての土佐藩の防備態勢のひとつで、この二つの海沿いの屋敷に人数を常駐させる一方、幕府の許可をえて品川に台場を築きつつあった」と述べられています。この土佐藩築地藩邸は、現在の中央区役所そばですね。
その後、竜馬が通った軍艦操練所跡にも説明版が設置されています。『竜馬がゆく』では、「築地本願寺から橋を一つ、東へ渡ると、南小田原町である。もう海のにおいがする。さらに東へゆくと、かつて芸州藩の下屋敷のあったところ、ごく最近まで幕府の講武所がおかれていた一角があり、その向こうは海である。そこに、安政四年以来、幕府の軍艦操練所がおかれている」と述べられています。
こうした歴史小説は、登場する地名になじみがあり、距離感があると、興趣も深まりますね。