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隅田川 日本橋川 神田川クルーズ

日本橋乗船場 ⇒ (日本橋川)⇒江戸橋⇒鎧橋⇒豊海橋⇒ (隅田川)永代橋⇒清洲橋⇒両国橋⇒ (神田川)柳橋 ⇒ 秋葉原 ⇒万世橋⇒聖橋 ⇒ 御茶ノ水渓谷 ⇒ 水道橋 ⇒ (日本橋川)三崎橋 ⇒ 一ツ橋 ⇒ 常盤橋 ⇒ 日本橋 ⇒ 日本橋乗船場帰港

東京の真ん中を流れる90分のクルージングです。

船でしか楽しめない御茶ノ水渓谷、江戸城石垣、JR御茶ノ水駅、聖橋、清洲橋、永代橋などが見どころです。

 

江戸の頃から人々の生活を支えた水路には水道橋(懸け樋)跡や江戸城石垣など多くの歴史的構造物が見られます。

 日本橋出発 江戸橋 鎧橋

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日本橋乗船場を出ました。日本橋は国の重要文化財です。

すぐに江戸橋が見えてきました。日本橋ダイヤビルディングが正面に見えます。

1930年(昭和5年)に竣工した旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビルは、船体を連想させる外観で東京都選定歴史的建造物に選定されています。

 

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続いて、鎧橋が見えてきました。

周りは日本橋小網町、日本橋兜町、日本橋茅場町があり、東京証券取引所も近くに見えています。

豊海橋

豊海橋 隅田川 日本橋川 神田川クルーズ

日本橋川が隅田川に注ぐ河口部に架かり永代橋近くにある橋です。

この橋は梯子(はしご) を横倒しにしたような外観の珍しい構造・デザインの橋です。


永代橋との景観も考慮されて造られたそうです。

永代橋

永代橋 隅田川 日本橋川 神田川クルーズ

5代将軍綱吉の50歳のお祝いを込めて造られたと言われています。

文化4(1807)年には深川八幡の祭礼に向かう混雑で橋桁が落下し、1,500人余りが溺死しました。

国の重要文化財です。

清洲橋

清洲橋 隅田川 日本橋川 神田川クルーズ

男性的な印象の永代橋と対をなす橋として、美しい優美で女性的なつり橋。 夜のライトアップされる姿も女性的で美しい橋です。

ドイツのケルンにあったつり橋をモデルにしています。 清洲橋の名前の由来は、「深川区清住町」から「日本橋中洲町」を結ぶことから命名。

国の重要文化財です。

柳橋     万世橋駅舎跡

柳橋     万世橋駅舎跡 隅田川 日本橋川 神田川クルーズ

江戸中期、日本橋下柳原同朋町と対岸の浅草下平右衛門町とは渡船で往来していたものの不便な為1697年(元禄10年)に架橋を願い出て許可され翌年1698年に完成。

1887年(明治20年)に鋼鉄橋になる。その後の関東大震災で焼失し1929年(昭和4年)に現在の橋が完成。永代橋のデザインを取り入れたと言われています。

柳橋の周辺は江戸時代から船遊びに拠点として有名で、今でも屋形船や船宿がたくさんあります。1999年に中央区区民有形文化財として登録。

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明治22年甲武鉄道が開通、中央線神田~御茶ノ水間に「万世橋駅」がありました。

1912(明治45)年に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋が、歴史や記憶をもとに生まれ変わりました。

ショップやカフェが並ぶこれまでにない商業施設が誕生しました。

聖橋

聖橋 隅田川 日本橋川 神田川クルーズ

大きなアーチ型が印象的な聖橋

湯島聖堂、ニコライ聖堂の二つの聖堂を結ぶ橋です。この一帯は都内有数の渓谷美を誇る所です。神田川は江戸時代に本郷台地を開削して造られた運河です。

この運河ができる前は左岸と右岸は地続きの本郷台地(神田山)でした。

運河完成後、駿河出身の徳川家家臣が多く住むため駿河台と呼ばれるようになりました。

お茶の水切通し お茶の水分水路

お茶の水切通し お茶の水分水路 隅田川 日本橋川 神田川クルーズ

外濠の中でも江戸城の防衛にとり特に重要な地点であると言われました。

神田川の切り通し部分(水道橋・昌平橋間)は、江戸時代を通じて橋を架けることが許されませんでした。

 

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JR水道橋駅の東側から下流の昌平橋までの間(昌平橋下流~水道橋下流、1.3km)、神田川に沿って文京区側(北側)の地中を流れるのが、神田川・お茶の水分水路。洪水予防のために造られました。

江戸城石垣 常盤橋

江戸城石垣 常盤橋 隅田川 日本橋川 神田川クルーズ

江戸城の石垣が見えてきました。江戸城の外濠です。表面に石工の彫った削印が見られますが、天下普請の際に他家の石と区別をつけるために彫られたものです。

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常盤橋(ときわばし)は、千代田区大手町と中央区日本橋本石町との間の日本橋川にかかる橋。

常盤橋は2つあり、江戸城常盤橋門に通じる歩行者専用の洋式2連の石橋(現存する東京最古の石造橋)と関東大震災後の復興計画で建設された道路橋です。区別するため、石橋の方の「磐」の字は「般」に「石」が用いられます。近くに渋沢栄一像が見えました。