ぴっか

お魚くわえたドラ…犬!?

歌川広景『江戸名所道化尽 日本橋之朝市』国立国会図書館デジタルコレクション

棒手振りの魚屋の一瞬の隙を狙って白い体に黒い斑のある犬が赤い魚を盗んで逃げだしました。

魚を盗られた男性は天秤棒を振り上げて怒っています。全身に入れ墨があるのとあいまってなかなかの迫力です。

盗まれたこの魚は赤い体に大きな目をしています。メバルでしょうか。あるいは赤魚でしょうか。

擬宝珠のある橋での出来事なのでここは日本橋。魚河岸で仕入れた魚を棒手振りの魚屋が町へ商売に行こうとする一瞬のすきにお腹の減った犬に魚を盗まれてしまった一場面を面白く絵にしたのでしょう。

現代だったら犬が外にいるときはリードにつながれていて躾もよくされているのでこの絵のように自由に走り回ったり魚を盗んだりなど考えられません。いわゆるお魚くわえたドラ猫もみかけませんが。

この絵が描かれた江戸時代の犬や猫の暮らしを見てみましょう。

江戸後期の犬の暮らし

江戸時代といっても260年の長い期間があるのでその時々で人と犬の付き合い方も変化しています。江戸初期は人の食用にされたり、将軍の飼っている鷹のえさにされたり。生類憐みの令もありました。長崎で発生した狂犬病が日本各地に広がったこともありました。

ブログ冒頭の歌川広景の日本橋魚泥棒の犬の絵が描かれたのは幕末。江戸後期から幕末にかけての江戸の町人と犬のかかわりはどうなっていたでしょうか。

江戸時代後期に長崎のオランダ商館医師として来日していたシーボルトはオランダ商館長の江戸参府に随行し道中の日本の動植物を精力的に採取しました。それを日本人絵師に描かせオランダの博物館に送りました。それが『ファウナヤポニカ』(日本動物誌)にまとめられました。

 

『ファウナヤポニカ』に「江戸の町の犬」についての記述があります。日本語翻訳本がみつけられなかったので『犬たちの江戸時代』から仁科邦男氏の訳を箇条書きにして要約させていただきます。

 

①街路が木戸で閉ざされたそれぞれの町で家族としての特権が与えられた犬が飼われている

②犬は個人の所有物ではなく町の住人の共有物

③犬は町の番人であり激しく戦い隣町の犬の侵入を防ぐ

④犬は魚の残り物野菜くずなどの生ごみを食べ町の清潔さを保つのに貢献している

⑤犬の主食は魚

 

ごみを出さぬよう犬に残飯を与え、木戸内の町ごとに犬を放し飼いで飼っていたことがわかります。防犯の役目も果たしていたようです。日本橋の魚泥棒の犬がなんだか怖い風貌なのも、隙をみて魚を盗む理由もなっとくできました。魚が主食なのに残りものばかりでは…たまには新鮮で肉がたっぷりついた魚を食べたくもなりますよね。生で食べてお腹をこわさなかったかどうか心配ではあります。

 

 お魚くわえたドラ…犬!?

歌川国芳画『教訓善悪子僧揃』国立国会図書館デジタルコレクション

色々なパターンのよい小僧と悪い小僧を対比させて道徳を教える絵本にした『教訓善悪子僧揃』は幕末の歌川国芳が描いています。犬の姿形や模様が日本橋の犬とそっくりですね。ちなみに右上の1人でいる子が良い子の例で「つかい先 用のよくたりる小僧」と書かれています。犬に喧嘩をさせている二人が悪い子の例で「犬をかみ合わせする小僧」となっています。組み合っている犬の足元に魚の頭と骨が散らばっています。たった一つの魚の骨を与えて犬が争うように喧嘩をさせているのでしょう。牙をむいている犬の怖さが目立ちますが、確かにこれはやっちゃいけないことをしている悪い子の例ですね。

かわいそう…

ここまで読んで生ごみがご飯なんて!愛犬家の皆さんはお怒りのことと思います。

でも、ご安心ください。シーボルトはそう書いていましたが生ごみを回収するシステムはあったので犬が生ごみを食べさせるために飼われていたわけではないと思います。

明暦元年(1655)に、ゴミを川に不法投棄することが禁じられ、ゴミ捨て場として隅田川河口にあった永代島の永代浦が指定されました。幕府の委託を受けた回収業者が町内から回収してきたゴミを「大芥溜(おおあくただめ)」に集積し、永代浦まで船で運び永代島浦を埋め立てました。永代浦の埋め立てが完了すると越中島浦に場所が移されて埋め立てが繰り返されました。

シーボルトは少し大げさかかもしれません。それにしても犬のイメージや扱いは気持ちが沈みます。

一方、猫はどうだったでしょうか。

犬に比べて猫は

犬に比べて猫は お魚くわえたドラ…犬!?

山東京伝作 歌川国芳画 『朧月猫草紙』国立国会図書館デジタルコレクション

この本は上の犬を喧嘩させている絵と同じ歌川国芳の黄表紙(大人向けの絵入りの漫画にちかい小説)です。国芳は猫好きで有名でかわいい猫の浮世絵をたくさん残しています。この本は擬人化された猫が描かれていますがれっきとした人に飼われている猫です。飼い主の人間たちも物語に登場します。左のメス猫「こま」が主人公。向かい合って座る「とら」と恋仲になり、今の「こま」は産後の養生中です。「とら」はその「こま」を見舞い、生まれたばかりの子猫を抱いてなめてあげています。その二人の仲をよく思わない「くま」が刃物をくわえて後ろから襲いかかろうとしている場面です。「こま」と「とら」は駆け落ちし、運命は二転三転。ハラハラドキドキのお話です。

「こま」が飼われている家は女中や奉公人がいる鰹節問屋。「とら」も家に女中さんがいる三味線のお師匠さんが飼い主なので同じ町人でも冒頭の長屋の犬よりちょっと良い暮らしの猫の話です。なので完全な比較にはなりませんが猫がどんな暮らしをしていたのか参考になると思います。

ちなみに主人公の「こま」と「とら」が途中ではぐれる場面は怖い犬に吠えられ追いかけられたからです。別の場面で「こま」が橋の欄干から川に落ちてしまう時も犬に吠えられたから。とことん犬は猫に吠えかかる存在として書かれています。

このお話にはかわいい猫の日常やお役立ち情報が満載です。

野良猫飼い猫もいる。猫を飼いたい人は野良猫をつかまえたり、知人からもらい受けたりする。

②飼い猫の重要な役割はネズミをとること。江戸の町はネズミに悩まされていました。ネズミを捕らせるために猫飼っていたともいえるようです。可愛いだけでなく役割をきちんと果たすことも求められていました。

③猫が使う食器は「アワビの貝殻」。この絵の箸をもつ「こま」が左手に持っているのが「アワビの貝殻」に盛られたご飯。白米にかつおぶしをかけたものをもらったりしていたようです。

④猫のトイレは硯のふた。硯のふたに砂をいれてトイレをつくってあげました。縁の下も使います。粗相することに関しては厳しめ。粗相したことで追い出されてしまうことも。

⑤可愛がられている猫はご主人に抱かれて眠る。今と同じですね。

⑥猫が手足を折りたたんで体の下にしまって座る座り方は「香箱をつくる」。今も「香箱座り」といいますね。前足の呼び方は「ちょっかい」ちょっかいを出すというのはここからきているのかも?

首に鈴をつけている猫もいます。

⑧猫が病気になったときは「またたび」や「にしん」「どじょう」を与える。そのほか健胃剤お灸をするときの位置まで書かれています。いざという時役に立ちそうな情報です。

 

野良猫の扱いは不明ですが、飼い猫に関しては犬より扱いが良いように感じます。愛猫家の国芳が挿絵を描いているから、というのもあるかもしれませんが愛玩という点では猫が人気だったのでしょうか。

可愛い犬も

可愛い犬も お魚くわえたドラ…犬!?

歌川国芳「御奥弾初」国立国会図書館「NDLイメージバンク」

同じく国芳はかわいい犬も描いています。ここは武家屋敷。屋敷の奥方と女中たちが琴の演奏に耳を傾けています。その真ん中の特等席でフリルがたっぷりの飾りを首に巻き、ふかふかの座布団に鎮座しているのは「狆(ちん)」です。江戸時代に宮中や大名家などで好まれた高級なペットの犬です。犬が大切にされていることが想像できます。

外にいる犬でも長谷川雪旦の『江戸名所図会』のあちこちの道端に書き込まれている犬は狂暴そうではなく、数匹でいても喧嘩している様子もなく穏やかに見えます。また、丸山応挙やその門下の長沢芦雪がころころした可愛い子犬を描いています。子犬だからかわいいのか、それとも応挙と芦雪は京で活躍した人たちなので京都では江戸と犬の扱いが違ったのかその点はまだ調べる余地がありそうです。

【参考文献】

『犬たちの江戸時代』 仁科邦男 草思社文庫

『朧月猫の草紙ー初編・2編』江戸戯作文庫 河出書房新社