桜川の移り変わり

東京メトロ日比谷線八丁堀駅を地上に出たところに 桜川公園 があります。

このオブジェは MOON LIGHT STAGE ー月舞台ー といいます。

この場所はもともとは八丁堀と呼ばれた川でした。

京橋川下流から開削され亀島川に合流し、江戸時代は大川と呼ばれた隅田川に流れ込む水路です。

江戸の物流で一番大事なのは通船のための水路の確保でした。

長さが八町(約873m)あるので 八町堀 と呼ばれます。

丁は町の略字ですね。今は 八丁堀 が通称です。

当初は寺が多数ある寺町でしたが、江戸城下の拡張工事のためほとんどの寺が浅草方面へ移転を命じられ、跡地に与力同心組屋敷の町が出来ます。

江戸庶民は与力同心達を八丁堀の旦那と呼びます。

堀の北側を本八丁堀、南側は南八丁堀の地名が付き、現在も本八丁堀側が地名として残り、東京メトロ日比谷線とJR京葉線の駅名としても残っています。

明治16年、堀の名称は八丁堀から 桜川 に改称されました。

紅葉川のもみじや楓川のカエデのように堀脇に桜の木があったのでしょうか。

それとも楓川とつながるため”秋の楓”と対比して”春の桜”と命名されたのでしょうか。

 

 桜川の移り変わり

横道にそれますが・・・

紅葉川は ”もみじがわ” ですが、楓川は ”かえでがわ” とも ”もみじがわ” とも呼ばれたようです。

”もみじ” と ”かえで” を調べてみました。

両方の葉は大小の違いはありますが、形は似ていますね。

”もみじ” は、秋に色が黄色や赤に変わることを意味する動詞の ”もみず” が変化した名だそうです。

”かえで” は、カエルの手の平に似ているから付けられたようです。

”もみじ” もカエルの手の平に見えますね。

水運の重要路だった紅葉川は江戸時代に埋め立てられますが、やはり重要な楓川にその名が残されて ”もみじがわ” と呼ぶ人もいたようです。 

写真の上部は三つ橋跡の説明版に刻まれている文字で楓川に ”もみじ” とフリガナが書いてあります。

中央区観光検定テキストの「歩いてわかる中央区ものしり百科」にも ”もみじ” と書いてあります。

下は案内地図に書かれている文字です。Kaedegawa となっています。

三つ橋跡と楓川新富橋公園は120m程しか離れていないのに。

どちらが正しいとかではないと思います。

すでに川は無いのに、江東区深川に移転するまで日本橋に紅葉川高校がありましたし、日本橋中学に統合されるまで紅葉川中学もありました。

中央区は楓川は ”かえで” で統一するようですが、川の名前を呼んでいた人の記憶の名前でいいのではないでしょうか。

 

 桜川の移り変わり

昭和28年の商工会の地図を元に位置や道の大きさはいい加減ですが、地図を作ってみました。

桜川に架かっている橋は上流から

 新桜橋→桜橋→中ノ橋→八丁堀橋→稲荷橋 で亀島川と合流して隅田川に流れます。

 

 桜川の移り変わり

昭和38年の住宅地図では桜橋の上流側は下水道局と書いてあり 桜橋ポンプ所 が出来ます。

桜橋から稲荷橋までは水が残っています。

中ノ橋の八丁堀橋側によく船が停泊していたのを記憶しています。

桜橋は都電が通る橋でした。

昭和42年前後に都電の停留場も桜橋本体も撤去されました。

桜橋と中ノ橋の間が埋め立てられて 東京都勤労福祉会館 が落成します。

2つの建物が建ち、その間の中央部分は吹き抜けでビルに囲まれた屋外プールです。

結婚式場宿泊施設美容室写真館理髪店などが並び、地下には卓球場もありました。

そしてとても安く食事のできるレストラン(西武系と思います)がありました。

 

 桜川の移り変わり

中ノ橋から八丁堀橋の間が埋め立てられ今より狭い 桜川公園 が作られました。

中ノ橋側に ゲートボール場 が設けられました。

午前中から利用している人達を駅で乗り降りする通勤者が見下ろして通ります。

中ノ橋はまだ橋として残っていました。橋の下は水が残っていました。

結構傾斜があり雪の日に凍結していると滑りました。

八丁堀橋側には 桜川敬老館桜川保育園 が落成しています。

八丁堀橋は撤去されます。

稲荷橋との間も埋め立てられ、先ずは桜橋第二ポンプ場の建設が進みます。

 

 桜川の移り変わり

平成になり中ノ橋が撤去され八丁堀(桜川)の水が無くなります。

桜川公園が再整備され、名前のように数多くの桜の樹が並び、春の名所になります。

最初の写真のオブジェはこの時建てられました。

八丁堀橋と稲荷橋間の工事が終わり 区立女性センターブーケ21屋上公園 が落成します。

屋上には ゲートボール場 も設けられました。

東京都勤労福祉会館が 労働スクエア に変わります。

 

数年後、労働スクエアが閉館し解体されます。

 

 桜川の移り変わり

平成11年、テレビ東京で放映されたアド街ック天国で八丁堀が取り上げられました。

番組で扱った第一位が桜川公園でした。

何の紹介かと思ったら八丁堀が埋め立てられ今は公園になったこととお地蔵さんを取上げました。

桜川公園の一角にあるお地蔵さんは 入一地蔵菩薩 と呼ばれています。

桜川の北側は現在は八丁堀四丁目、南側は入船一丁目です。

桜川公園の住所は入船1-1-1です。

真ん中のお地蔵さんの隣りは観音菩薩と思われます。

川から流れついたと言い伝えがあり3体共と思っている人もいます。

入船一丁目の長老に本当に3体も流れ着いたんですか?と疑り深く尋ねたら、1体は間違いないんだとムキになって言われてしまいました。

アド街ック天国でのお地蔵さんのシーンではその長老さんが映っています。

一体が流れ着いたと説明がありました。

 桜川の移り変わり

入一地蔵菩薩の横にある石です。

むしば祈祷石 と呼ばれています。

昔、自然石であぶら石と呼ばれたものがあったと言い伝えられています。この石と思われます。

虫歯にならないようにとか、治るようにとかを石に触れてお祈りされています。

子供の乳歯が抜けたら、いい歯が生えますようにとお願いに来る方もいます。

 

 桜川の移り変わり

労働スクエアの跡地はしばらく何に変わるのか分かりませんでした。

東京都の公有地売却話があり、京橋五の部と七の部連合が中央区長宛に、民間企業への売却の前に地元区として有効活用の要望をして欲しいとの書面を提出したと新聞で見たことがあります。

撤去自転車の臨時保管所になったり下水道局の資材置場になったりしました。

 

この写真は、旧八丁堀橋側の桜川敬老館、桜川保育園が改装され新しく生まれ変わった姿です。

 特別養護老人ホーム わとなーる桜川

 グループホーム ロンジェ

 区立桜川敬老館 いきいき桜川

 区立 桜川保育園

複合施設として改装され、公園の樹々にも融合するような憩いの建物が出来ました。

 桜川の移り変わり

8月31日で京橋図書館が休館します。

そして労働スクエア跡に 12月4日 本の森ちゅうおう がオープン予定です。

大分、外観が見えてきました。

 

生まれ変わった、新しい桜川の景色です。