Hanes

【遠足シリーズ第45弾】村松町(現・東日本橋)の住人
菱川師宣の足跡を辿って


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
中央区にゆかりのある浮世絵師というと歌川広重が有名かと思いますが、代表作の「見返り美人」で広く知られ、「浮世絵の祖」と称される菱川師宣が村松町(現・東日本橋)で晩年を過ごしたことをご存じですか?

そもそも師宣は、安房国保田村(現・千葉県鋸南町保田)で縫箔刺繍を業とする菱川吉左衛門の長男として江戸時代に生まれました。
鋸南町には「菱川師宣生誕の地」の碑があり、彼の功績を偲ぶことができます。

 【遠足シリーズ第45弾】村松町(現・東日本橋)の住人菱川師宣の足跡を辿って


しかし、師宣ははじめから絵の道を選んでいたわけではありませんでした。
お家柄、父のもとで家業の縫箔の修行をするところからスタート!
幼い頃から描くことが好きだったこともあり、後に江戸に出て版本の挿絵師になります。
そして、高価だった絵画を木版画にすることで広く庶民に普及させたほか、庶民風俗を題材とした新しい絵画様式「浮世絵」を確立し、大成するに至りました。

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浮世絵の美人画で一世を風靡した彼は、1694年(元禄7年)に江戸で息を引き取ります。
しかし、江戸(現・東京都)にはお墓がありません。
前述の碑のそばに立てられている案内板によると、遺骨は遺言により故郷・保田の別願院へ葬られたと伝えられているそうです。

その別願院は鋸南町指定史跡となっており、海に面した裏側では「菱川師宣の墓所 浮世絵の開祖」と書かれた看板が見て取れます。
お墓の写真の掲載は控えますが、お墓参りに訪れてみました。
埋葬当時の墓石は1703年(元禄16年)の大津波で流され、現在の墓は後世に再建されたものだと言います。

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天気が良かったので少し足を延ばして「菱川師宣記念館」を訪れると、記念館の外壁に、中央区にゆかりのある浮世絵師・歌川広重が描いた「房総名所 房州保田の海岸」があしらわれていることに気がつきました。

鋸南町役場/菱川師宣記念館のウェブサイトによると、広重は船で江戸から木更津に行ったそうです。
日本橋川沿いにかつて存在した木更津河岸から乗船したのでしょう。
(木更津河岸については、「【遠足シリーズ第42弾】歌川広重や葛飾北斎も利用!かつて江戸橋南袂西寄にあった河岸地とは」をご覧ください。)

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出生年がわからず、経歴も不明な部分が多いようにやや謎に包まれた師宣ですが、鋸南町役場/菱川師宣記念館のウェブサイトによると、「江戸での師宣の住所は、当時の資料から、堺町横町(人形町)、橘町、村松町二丁目などが確認」されているそうです。
その中でも広く認識されているのが村松町の住所で、現在の中央区東日本橋にあたります。

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江戸時代と比べると街の様子がすっかり変わった東日本橋ですが、あの「見返り美人」を描いた浮世絵師も現・中央区内で暮らしていたと考えるとなんだか感慨深いものがあります。
彼が江戸ではどのような暮らしをしていたのか、もう少し詳しく調べてみたいと思いました。

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あとがき

既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、「菱川師宣誕生地」の碑とその台の間にマイペースな猫がいました。
浮世絵師・歌川国芳は愛猫家で有名ですが、菱川師宣はどうだったのでしょうか。

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あまりに動かないので最初は猫の存在にすら気づきませんでしたが、人慣れしているようで色々な角度から写真を撮らせてくれました。