【遠足シリーズ第46弾】「与話情浮名横櫛」の舞台を訪ねて
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
先日木更津市を訪れた際に、駅のホームの名所案内にある「切られ与三郎の墓 光明寺にあり」の文字が目に入りました。
私自身歌舞伎はまだ勉強中なのですが、この与三郎は中央区にも関係のある演目「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の与三郎のことだと気づき、木更津市観光案内所の壁にあしらわれた与三郎とお富の浮世絵を眺めながらお寺に向かいました。
私のように歌舞伎初心者という方に向け、ここで簡単に「与話情浮名横櫛」のあらすじをご紹介します。
この演目の主人公・与三郎は、江戸の小間物問屋伊豆屋の若旦那。
木更津で一目ぼれし、恋仲となったお富は地元の危険な筋の男・赤間源左衛門の妾でした。
源左衛門の留守を見計らって密会するも明るみになり、お富は海に飛び込み、捕まった与三郎はこれでもかというほど切りつけられることに...。
そんな悲惨な運命をたどった与三郎にはモデルがおり、その人物が木更津の紺屋で修業をしていたことから光明寺に与三郎のお墓が建てられました。
お墓の写真の掲載は控えますが、案内の看板も設けられており、迷わずに与三郎の墓の前で手を合わせることができました。
しかし、木更津だけではありません!この演目に関するスポットは中央区内にもあるのです。
木更津で恋に落ち、密会を知られてばらばらとなった2人。
実は両者とも生きており、3年後に鎌倉の源氏店で再会します。
この源氏店のモデルこそ、日本橋人形町に残る史跡で、痘瘡にかかった三代将軍徳川家光の治療と介抱にあたり名を高めた幕府御典医・岡本玄冶の屋敷跡「玄冶店」なのです!
現代にまで受け継がれているこの演目は、1853年(嘉永6年)に江戸中村座で初演。
その中村座はもともと猿若座と呼ばれており、その発祥の地を示す記念碑「江戸歌舞伎発祥の地」が京橋のたもとに設けられています。
再会後の与三郎とお富はどうなったのでしょうか?
結末は、この演目が上演される際にぜひ歌舞伎座に足を運んでご自身の目でお確かめください!
中央区内のご紹介スポット
玄冶店跡
住所:東京都中央区日本橋人形町3-8先
江戸歌舞伎発祥の地
住所:東京都中央区京橋3-4先 中央通り際