【神田祭】神幸祭と日本橋と山車
出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/) 内より
https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail025.html
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5766
前回ブログにおいて神田祭と中央区の関係について少し触れましたが
もう少し突っ込んだ話をしていきたいと思います。
さて、冒頭の絵は「神田大明神御祭図」1840年ごろの神田祭の様子です
蔦屋重三郎よりちょっと後の時代ですね
本年も5月10日(土)に行われる神幸祭の江戸時代の頃の様子です。
数多くの山車が江戸の町を練り歩いた様子が描かれております。
行列の右下が先頭です。
昔は数多くの豪華絢爛な山車が出ておりました。
この絵で見る限りでは約40もの豪華絢爛な山車が出ていた様です。
これらの山車は各氏子町で受け持ちが決まっておりました。
一番先頭の集団に「一番」「大伝馬町」という文字が見えるのがお判りでしょうか。
なんか鶏みたいな山車もいますね
※当時の大伝馬町は今でいう本町 大伝馬町 堀留町あたりを指します
そしてそれに続き「二番」「南伝馬町」という文字もご確認頂けますでしょうか?
なんか猿みたいな山車もいますね
※当時の南伝馬町は今でいう京橋一〜三丁目あたりを指します
↓冒頭の絵の一部を拡大
出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/) 内より
https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail025.html
出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/) 内より
https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail025.html
そもそも江戸のお祭りは5つあった
実は、江戸時代 江戸のお祭りは5つありました
①山王祭(天下祭)
②神田祭(天下祭)
③大伝馬町(天王祭)
④南伝馬町(天王祭)
⑤小舟町(天王祭)
こんなにあったんですね、①②は天下祭と言いまして、豪華絢爛な山車が出て、将軍様に謁見する由緒正しいお祭りです。
天王三社の祭礼は、大伝馬町・南伝馬町・小舟町が宮元となってお祭りを行っておりました。
すなわち大伝馬町、南伝馬町というのは当時非常に由緒ある地域だったんですね
それが直接の理由なのかは私は存じ上げないのですが
大伝馬町は神幸祭に於いて一番最初に山車を出す一番山車
南伝馬町は神幸祭に於いて二番目に山車を出す二番山車
という栄誉を受けておりました
③④は現在もう行われておりません
⑤は実はまだ行われているんです
中央区民の方ならば思い出してもらえるかもしれませんが、昨年小舟町エリアに於いて非常に大きなお祭りがあったことを覚えていらっしゃる方も多いと思います。
あれが⑤の天王祭なんです
↓昨年の小舟町天王祭の様子
歴史と由緒のある大伝馬町 南伝馬町
と、いうことで昔の大伝馬町と南伝馬町が非常に由緒ある町だということがお分かりいただけるかと思います
そして、神田祭 及び 山王祭 において 先頭の山車を担当するという大役を担っていたのです。
(山王祭の山車の順番も1番→大伝馬町 2番→南伝馬町でした)
↓現在の山王祭情報
https://www.tenkamatsuri.jp/sairei/
↓の表にも、少しわかりずらいのですが、書いてあります
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E7%A5%AD%E7%A4%BC%E6%B0%8F%E5%AD%90%E7%94%BA%E4%B8%80%E8%A6%A7
約40もあった神幸祭の山車ですが、現在はかなり縮小されております。
なのですが、あの鳥は残っております。当時の大伝馬町の誇り高き一番山車。
↓の様に、健在です(当時は特派員になることは考えておらず、、、2年前に写真撮っておけばよかった)
https://www.kandamyoujin.or.jp/kandasai/r5/schedule/shinkosai/
続く
オフィシャル