すっとこどっこい プロフィール
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税関150年
2022年11月28日の東京新聞裏一面のTOKYO発で きょう 税関記念日 と取り上げていました。 税関発足から150年を迎えたそうです。 以前に特派員ブログで何度か扱われていますが改めて東京税関発祥之地の碑へ行ってみました。 運上所跡となっています。運上とは領主が農民に課した年貢と同じく、商工業者に課した今で言う営業税です。 運上所は、幕末に幕府が欧米五か国と修好通商条約を結んだ翌年の1859年に箱館(函館)、神奈川、長崎に設置されます。江戸運上所は1867年に築地鉄砲洲に設けられました。現在の明石町です。 輸出入税の徴収に加え入国管理や外交交渉も行うかなり大きな組織だったと横浜税関広報広聴室長が記事で答えています。 兵庫や大阪にも置かれ、その後明治政府になり運上所は外国事務局に属しますが明治4年に大蔵省に移管され租税寮の管轄になります。 やがて神奈川運上所は横浜税関とも呼ばれたりして、各所の運上所の呼称が違うようになり1872年に全国の運上所は税関に統一した呼称になりました。それが2022年から150年前の11月28日でした。 税の関所を縮めた税関という通称が一般に広まっていて、その名のほうが業務を表していると判断されたのでは、と広聴室長は言います。
中央区百景歴史・文化築地・八丁堀周辺すっとこどっこい
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入船・湊 一考察
1603年迄、中央区のほとんどは海でした。埋め立てられ、水路が沢山造られ街が形成されます。水運は街を形成するために重要な交通手段、運搬手段として大事なものでした。 この写真は現在の中央区新川の遊歩道入口近くにある江戸湊があったとする錨のオブジェです。亀島川の出口にあたる位置です。江戸時代このあたりから芝浦あたりまでは鉄砲洲と呼ばれています。海側へ海側へと遷座されてきた鉄砲洲稲荷神社は江戸への物資のほとんどが入ってくる江戸湊の守り神として船乗り人の崇拝を集めます。歌川広重の”絵本江戸土産”や天保年間の”江戸名所図会”には湊稲荷の名称で載っています。現在の神戸や横浜などの大きな港という意味よりも沢山の舟が行き来し人も集まる場所つまり湊の名が使われます。
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