入船町会100年
令和6年11月17日の日曜日
入船の三町会合同で、入船の町と入船町会の歴史を訪ねる行事が企画されています。
入船町会は大正11(1922)年に設立されました。
コロナで企画がストップしていましたが改めて話が進みました。
題して ー入船町会100年ー
写真の方が入船町会三代目会長の土屋玉葉です。
この方が書いた
葉堂手記 ”入船町名誌”
を本の森ちゅうおう で見ることが出来ます。
この中で入船町会の設立に触れています。
中央区沿革図表の文久二(1862)年の図を基に作りました。現在の新富、入船、湊、明石町と築地の一部です。
土屋玉葉は、書かれた当時の入舟町の場所に江戸時代は武家屋敷があったと記します。彦根藩の井伊、川越藩の松平、篠山藩の青山、小久保藩の田沼の四候の別邸 及び岡藩の中川の本邸があった場所が入舟町になったそうです。彦根井伊家と岡藩中川家は沿革図表にありました。明治維新まで6年の間に領地替えもあります。小久保藩田沼は明治維新の時急遽作られた藩で田沼家が領主になります。明治元年から翌年の廃藩置県まで存続した藩だそうです。川越藩松平は所領地の勘違いではないかと思うのですが。
明治元年12月、新政府は上記諸候地を取上げて入舟町と命名しました。入舟町は一丁目から九丁目までありました。六丁目から九丁目は築地外国人居留地に指定され、一旦町名は廃止になります。明治6(1873)年、改めて再編されて入舟町七丁目、八丁目となります。入舟町六丁目は関東大震災後に埋め立てられた入船川の跡地に設定されます。
明治43(1910)年、入舟町に入光會という町会に類似した私會の組織が出来ました。ただ町民全般に機能することはなく、大正になって改めて町会組織をとの機運が起こります。そして大正11(1922)年3月入船町会が設立されました。
当日はスタンプラリーが行われます。各町会の詰所がスタートです。
第二部として講演会が行われます。町会設立の経緯や関東大震災での再編成のこと、南八丁堀や新栄町との合併の話、別の町会名(中の橋)に決定していたのを覆した話などが聞けると思います。
第三部が懇親会です。
地域の繋がりや活動の理解が深まると嬉しいです。