本物! ガス街灯の灯は暖かい

昨秋のことです。勝どき橋からつきじ治作の前を通って明石町区民館の前へ行った時、はしごをかけて街灯に登っている人がいました。電球の交換だなと思いました。何かを確認しているのか作業を中断しているようなので「LEDに交換するのですか?」と声をかけたら、「ガスの修理なのです」と返事。一瞬何を言っているのか理解できませんでした。停まっている自動車は東京ガスの車だし、着用している上着の胸マークも東京ガスの物でした。

「えっ!まさかガスで灯をつけているのですか?」と聞くと「都内で少なくとも二カ所のガス街灯は自分の営業所で点検を担当しています。」との返事でした。
何でも自動車がガス街灯に接触し、灯が消えてしまったと連絡がきたそうです。
後で修理具合を確認に来た、明石町区民館の管理を委託されている会社の人に聞くと、ガス街灯も含めて管理を委託されているので修理依頼は中央区役所ではなく、自分達の会社が担当していますとのことでした。

正面のガラスを開けて中の部品をいじっていました。
昔のガス点灯をする人もこうやってガラスを開けて火を点けたのでしょうねぇ。
興味津々で見入ってしまいました。

中にあるのは本当に電球ではありませんでした。
芯の部分は布性のものを取り付けて包みました。試しのガスの出を確認して、ライターで点火すると布は燃え上がり、黒い煙が立ち昇りました。

ガス街灯の柱部分の中を初めて見ました。
「柱そのものは明治の初期のもので間違いないと思います。中の、ガスを通して灯をともす為の部品は製造元がすでに廃業しているので、今後は手に入らず交換修理は出来ません。壊れた場合で治すのであれば新規で東京ガスが作ることになると思います。」と説明されました。

すっとこどっこいは明石小学校の卒業生です。在学中も旧校舎の玄関脇にガス街灯が立っていた記憶があります。隣にあった当時の区立第二中学校にもありました。今はリハポート明石の前にあります。
写真は現在の校舎の外側の角地にあるガス街灯の柱です。実際に外国人居留地にあったレンガの実物で組まれたレンガ塀の遺構とともに残されています。
明治7(1874)年に芝金杉橋から京橋まで85基のガス街灯が灯りました。芝金杉橋から新橋までの間は45m間隔で、新橋から京橋は27m間隔で並んだと書かれた物を読みました。
外国人居留地にも欠かせないものだったのではないでしょうか。トイスラー記念館にも2基のガス街灯の柱があります。すぐそばにあった新富座にもガス灯が配備されていたそうで評判を呼びます。明石小学校の並びの入船三丁目の会社の前にもガス街灯の柱が2基設置されています。

明石小学校の敷地内にあと2基のガス街灯の柱があります。柱は往時のもので間違いないそうですが、照明部分は電気で点灯するように復元されています。そのうちの1基は屋上に設置された風力発電によって蓄電された電源で明かりが点けられています。
この風車は2003年頃から動いています。この写真を撮った日は風があり、かなりの勢いで回転していました。

修理を目撃したその日の夜に改めて明石町区民館に見に行ってきました。
すぐ横の聖路加タワー側の道路には街路灯があります。ガス街灯の下に濃い影が写っています。ガス街灯の灯りは60Wの電球位と思われます。明治時代にガス街灯が設置された8年後には電気のアーク灯が銀座に並びます。一にお天道様、二にお月様、三に銀座のアーク灯と評判になり、灯された電気の明るさに押されてガス街灯は消えて行ったのです。

この日も寒い夜でした。
でもこのガス街灯の灯りを見ていると、ほっとするような暖かい気持ちになれた感じがします。
明石町はどこか外国人居留地であった面影があります。
歴史的な風景を感じさせてくれる素敵な街です。