秋の紅葉・有栖川宮めぐり
日差しが柔らかくなって、秋もゆっくりと深まってまいりましたが、柳の葉を揺らす秋風はまだ心地よいです。
ここは中央区、新橋演舞場のある交差点。このあたりの柳の枝のゆらゆらとした雰囲気は、とても風情があって、時折、こうやって来てしまうのです。
先日、特派員issa123さんが投稿された昭和5年の帝都復興巡幸の道筋の記事を拝見したのですが、
特派員issa123さんの記事 ⇒こちら
以前からこの道筋を知りたいなと思っていたので、「これは凄い」と驚嘆しつつ、以前の私の記事に載せた昔の絵葉書を思い出しました。
その絵葉書がこれです。昭和初期の新橋演舞場になります。
今回注目するのは右端に写る小さな人影のようなもの。
かつて新橋演舞場の脇を流れていた「築地川」の対岸に建っていた銅像です。今の築地・国立がん研究センターの病院あたりですね。
これは昭和5年・帝都震災復興で、陛下が「築地病院」を巡幸された時の絵葉書。この銅像は今は築地には無いのですが、福島県の猪苗代に移設されている、ということで、11月の紅葉の時季に合わせて見に行って参りました。
かつて築地には、超イケメンの銅像があった
築地は明治時代から、海軍の施設があった場所でした。関東大震災のあとに、魚市場が日本橋から築地に移ることになって、海軍の施設は次第に無くなっていったのですが、震災前に建てられたこの銅像は残されました。どなたの銅像かと申しますと、明治の時代に活躍された「有栖川宮威仁(たけひと)親王」の銅像。
「イケメン」という軽々しい表現は相応しくないのかもしれませんが、イケメンですね。
威仁親王は、明治天皇から海軍軍人を志すよう命じられ、当時日本海軍の模範としていた英国にも留学し、日清・日露戦争では海軍大将など重職を務めらました。
一方で、大正天皇が皇太子であった頃の教育係も務められ、明治天皇からの信任は絶大なものがありました。
湖や磐梯山を望む猪苗代の地を愛された威仁親王。ここに別邸を建てられます。今は重要文化財となっている「天鏡閣」です。
天鏡閣ホームページ ⇒こちら
実際に猪苗代に行ってみると、時間がゆったりと流れるような土地柄で、静養・保養にはぴったりな所だと感じました。
また、威仁親王は新しいものに興味があったようで、日本の自動車の黎明期に、日本初のドライブツアーを開催したのも威仁親王。行先となった、国立市にある谷保天満宮には石碑も残っています。
日本初のドライブツアー ⇒こちら
そんな威仁親王でしたが、1913(大正2)年に薨去されました。その後、その功績を讃え、銅像建設の声が起こります。
日露戦争の日本海海戦で有名な「東郷平八郎」を総代として計画が進められ、場所は築地の海軍参考館内の敷地が選定。1921(大正10)年に完成したのがこの銅像です。
長らく築地の地にありましたが、戦後、高松宮宣仁親王殿下のご発想に基づき、1984(昭和59)年に威仁親王ゆかりの地である天鏡閣庭園に移設された、というわけです。
銅像の台座は伊東忠太博士が設計
天鏡閣に移設された銅像にはもう無いのですが、銅像の台座は、中央区でいうと、築地本願寺の建物で有名な「伊東忠太博士」が設計しました。先ほどの築地病院前の銅像の絵葉書を見ていただくとわかるのですが、かなり立派な台座です。
よく見ると、狛犬のようなものが台座の四隅にあることがわかります。
これが、原宿の竹下通り沿いにある東郷神社に移設されているということで、こちらも11月の紅葉の時季に見に行って参りました。
東郷神社は東郷平八郎命をおまつりする神社。
もちろん狛犬はあるのですが、先ほどの銅像の台座の四隅にあった狛犬のようなものは、獅子像という形で4体全てが鎮座しておりました。
かなり独特な形をしているこの獅子像。銅像の台座の四隅にあった言われはよくわかりませんが、まるで先進テクノロジーによってデザインされたロボット犬のようで、紅葉の中、その造形にしばし見とれてしまいました。
かつて築地にあったものが、このように別の形で残して頂いていることに、とてもありがたみを感じます。
有栖川宮家は書道の師範を勤めたお家柄
有栖川宮家は威仁親王で断絶してしまったのですが、日本の書道の流派には「有栖川流」という流派があります。有栖川宮家は書道の師範を勤めたお家柄なのです。
その「有栖川流書道」を大成させたのが、威仁親王の父である有栖川宮幟仁(たかひと)親王。徳川慶喜公のいとこにあたる方で、明治維新の時の五箇条の御誓文の正本は、幟仁親王の手によって書かれました。
中央区でいうと、佃の住吉神社の鳥居に掲げられている扁額に書かれた文字が、幟仁親王によるものです。陶製であることも珍しいのですが、その文字が幟仁親王が書かれたものであるということから、とても貴重な文化財であることがわかります。
西南戦争から5年後にあたる1882(明治15)年に製作、今は中央区の有形文化財に指定されています。
佃の独特な雰囲気の中にあるこの神社。境内の紅葉も進んでいましたが、イチョウの黄葉はこれからが楽しみといった状況でした。
因みに東京には、広尾駅の近くに「有栖川宮記念公園」がありますが、元は威仁親王の御用地だった場所でした。
この公園には現在、幟仁親王の子、そして威仁親王の兄である有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像があります。
将軍徳川家茂と結婚した和宮の、元の婚約者だったことで有名な方で、戊辰戦争では新政府軍として、明治以降は陸軍軍人としてご活躍された方です。
公園はとても閑静で、回遊式の庭園も巡ることができて、紅葉も綺麗。ゆったりとした時間を過ごすことができました。
ということで、今年の秋の紅葉は「有栖川宮」をテーマに巡ってみたのですが、例年よりもまして色鮮やかだった気がします。
東京では、これからイチョウの黄葉がピークを迎え、次第に寒さが身に染みる時季へと移り変わり、クリスマス、そして歳末へと向かっていくことになります。
〈参考にした情報〉
★天鏡閣ホームページ
★天鏡閣ガイドブック(天鏡閣にて購入)
★東郷神社ホームページ(なぜなに!?東郷さん)
★谷保天満宮ホームページ
★中央区ホームページ(陶製住吉神社扁額)
★港区公園ホームページ(有栖川宮記念公園)
★ウィキペディア
有栖川宮幟仁(たかひと)親王
有栖川宮熾仁(たるひと)親王
有栖川宮威仁(たけひと)親王
<取材日>
猪苗代 2022/11/5
原宿・麻布・中央区 2022/11/19
国立市 2022/11/29