築地居留地研究会11月定例報告会にワクワク
~ペリー来航の話~
明治維新のころ、築地には外国人居留地(現在の明石町エリア)が開かれました。
1853年の黒船来航をきっかけに、日本の鎖国政策は解かれましたね。諸外国との交易地・外国人居留地は1858年に横浜や函館などに開場され、西洋文化をもたらしました。東京は築地に開くことになっていましたが、維新のどさくさ(私の理解では)で開場は1868年と一番最後。居留地の制度は1899年まで続きました。
NPO法人・築地居留地研究会はその頃の諸々を研究し、報告会を開いています。その定例報告会は、それはそれはディープな内容で毎回「へぇ~、そうだったのか!」の連続。
11月度定例報告会は来る11月26日(土)14時~「ペリー来航と開港地 下田」で、
会場はカトリック築地教会です。
思いがけないところでペリー提督
私が今回の報告会をいつも以上に楽しみにしているのは、思いがけないところでペリー提督の名前に出会ったから。
そこは、先月訪問したニューヨーク州ロングアイランドのワイナリーでした。
ロングアイランドと聞いて「グレート・ギャツビー」を思い浮かべる方もあるかもしれません。私は、聖路加国際病院の創設者トイスラーがニューヨークへ病院建築の資金集めに行っている時(1923年)、関東大震災の衝撃的なニュースをロングアイランドの知人宅に滞在中の娘からの電話で聞いた、という話を思い浮かべました。ギャツビーの話が1922年設定なので、だいたい時代の雰囲気は同じ感じでしょうか。
ロングアイランドなんて生涯行くことがないであろう場所だっただけに、日本人ドライバーさん同行の「ロングアイランド・ワイナリーツアー」があると知ってぜひ!と希望しました。さらに、いくつかあるワイナリーの中に、ペリー提督ゆかりのワイナリー(ペリー提督の弟の名前にちなんで名づけられた子孫が経営)があると知り、日本人としてはここ!と。
トイスラーの娘が滞在したのもギャツビー邸のような大邸宅かしら?などと、車窓から1920年代の建物を眺めて空想しつつ、目的のワイナリー、The Old Field Vineyardsへ到着。
ありましたよ、ペリー提督の名を冠した赤ワイン!(写真はリーフレットよりボトルラベル)。
試飲のワインセットを運んでくれた男性が「ペリーといえば日本じゃジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファーソンと並んで有名でしょ!」と、ペリー提督とワイナリーの繋がりを書いたリーフレット(日本語訳つき)をくれました。確かに、3人とも日本の学校の教科書(私の学校時代では)に必ず載っている名前です。
立派な体格のニワトリが闊歩するブドウ畑の一郭で、ペリーはCommodore(准将)だったのかと学んだ瞬間でした。提督=Admiralだとずっと思ってきましたから。そして、ファーストネームがマシューだったことも。
家族で評議の結果、ペリー提督の2019年産赤ワインは購入の選から漏れました。たぶん通好みですね。ど素人集団全員一致の賛成票はロゼワイン。帰路車中でドライバーさんからロゼもお勧めと聞いて、ちょっとホッとしました。
ペリー上陸の下田と函館は行ったことがあるし、ゆかりのワイナリーでワインも飲んだし、満を持して11月26日、築地居留地研究会の定例報告会を待っています!
この記事はNPO法人築地居留地研究会のご了解を得て書かせていただきました。