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【令和では信じられない江戸事情】庶民にとって大変な大晦日


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
12月も下旬にさしかかり、慌ただしい毎日を過ごしていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
しかし、大晦日までには大掃除、年賀状の投函や新年を迎える準備も一段落し、比較的ゆっくりと過ごせますよね。
そして、年末特番を見たり、除夜の鐘を聴いたり、初詣の列に並んだりしながら年越しをするのが一般的。
では、江戸時代の庶民にとって大晦日とはどのような日で、年越しの瞬間はどこで迎えたのでしょうか?

江戸時代の大晦日は、1年の総決算の日でした。
実は江戸時代には、その都度交渉をして値段を決め、節季である盆暮れと年末に一括で代金を支払う「掛け売り」が一般的でした。
いわゆる「ツケ」「後払い」ですね。そのため、掛け取り(集金人)は大晦日に集金に走り回ったそうです。
北嶋廣敏『江戸人のしきたり』(幻冬舎、2010年)によると、「大晦日 首でも取ってくるなり」、「(居留守を)使われぬように掛け取りひょくら来る」と言われるように、掛け取りの意気込みは並々ならぬものだったのだとか。

中には、掛け売りの金利や回収リスクを考慮し、実際の売値より値段を高くつける「掛け値」で商品を販売する商売人がいました。
しかし、三越の前身である三井越後屋は掛け売りをせず、現金払いに限定し、正札(定価)通りに商品を売る「現金掛け値なし」という商売方法で繁盛したことはよく知られています。

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そのように商売人が知恵を絞って販売し、掛け取りが必死で集金に回る一方、庶民も負けてはいませんでした!
居留守を使ったり、隠れたりしながら必死で年が明けるのを待ちます。
「なりわめくのを雪隠(=便所)で聞いている」、「例年の通り後架(=便所)で年を取り」*という川柳が物語るように、大晦日に便所に身を隠し、気づいたら新年になっていたということもあったようです。
(* 川柳の出典:前出の参考文献・北嶋(2010))

奥さんは旦那さんと掛け取りの間に立ち、隠れる旦那さんの代わりに舌戦を繰り広げたり、隠れているうちに眠り込んでいびきをかく旦那さんを注意したりと、頼もしくも心穏やかではなかったよう。
江戸時代の庶民皆が皆この苦労をしたわけではないと思いますが、令和を生きる私たちからするとちょっと驚く大晦日の過ごし方、そして年越しの仕方ではないでしょうか。

このブログでも特派員メンバーがたびたびご紹介してきた通り、中央区内には江戸時代から今まで変わらないものがあります。
その一方で、時代とともに変化する文化・慣習も見受けられます。
今後も江戸と令和の興味深い違いを探し、本ブログでご紹介していければと思います♪