町火消と纏と袢纏

先日築地の旧電通ビルの前を通ると解体工事が予定され、白い塀で囲まれていました。

すっとこどっこいが子供のころ、夜になると家から銀座の三愛ビルのネオンが見えていました。ある日大きなビルが出来てきて視界が遮られます。それが電通ビルでした。もうすぐ壊されるのだなと感慨深いものがあります。

そこに おぼえておきたい 町火消の記憶 と銘したパネルがあり、興味をひかれました。

 町火消と纏と袢纏

江戸時代に結成された町火消は48組いろは組のうち ”へ組” ”ら組” ”ひ組” ”ん組” は除かれ、変わりに ”百組” ”千組” ”万組” ”本組” になりました。

自分の住む地域は何組だろうと写真を撮っていたら消防署の制服に身をつつんだ方々に「興味おありですか」と声をかけられました。京橋消防署の方と思われます。工事現場の塀を有効利用したくて展示されたそうで、反応をチェックしたいようでした。見ている所の写真も撮られました。

「向うには纏を展示しています」と言うので是非みたいと思って付いていくと展示とは右側の塀のパネルの事でした。

 町火消と纏と袢纏

町火消錦絵の第一人者、岡田親さんの絵で各組の袢纏が描かれています。

これはす組の錦絵です。

 町火消と纏と袢纏

これは い組ろ組 は組に組 の錦絵です。各々のの呼び名と袢纏の呼び名が記されています。

この他にも せ組 も組 百組 千組 の錦絵のパネルがありました。

この9組で中央区全域がカバーされています。

 町火消と纏と袢纏

京橋築地小学校・明正小学校・明石小学校の生徒による消防に関するポスターや未来の消防イメージ図などの展示パネルや救急安心センター事業(#7119)の案内なども展示されていました。

急な病気やケガで今すぐ病院へ行ったほうがいいかどうか判断に迷う時、#7119へ電話すれば専門家からアドバイスを受けることが出来ます。

 町火消と纏と袢纏

中央区内で纏や町火消に関するものをよく見かけます。

人形町のからくりです。11時から19時まで一時間おきに動きます。

水天宮側が江戸落語のからくり時計、そして人形町交差点に近い側が町火消のからくり時計です。

人形町の担当 ”は組”袢纏で、 ”は組”を持っています。動けば梯子乗りが躍動します。

写真を撮った時は故障していて修理中の張り紙がありました。

 町火消と纏と袢纏

兜町・茅場町まちかど展示館で撮ったの写真です。坂本町公園にあります。

この地域は ”百組” の担当です。さすがに金融や証券の街らしく日本銀行から頂いた革の袢纏や刺し子の袢纏も展示しています。また四十八組のを描いた小さい凧が並んでいます。

明治10年前後の写真が飾ってあり、町火消第一区の一番組から十番組までの町火消が集まり10本のが揃った場面です。場所は現在の坂本公園横の日本橋消防署の前だそうです。

 町火消と纏と袢纏

勝どき・豊海歴史資料展示館で撮った写真です。月島第二児童公園です。

第一区六番組です。

江戸町火消の一番組の担当は、現在の江戸消防記念会では中央区全域と千代田区の一部になります。

江戸町火消の二番組 ”す組” は江戸消防記念会では第一区六番組になります。

上記、旧電通ビルのパネルで岡田親さんが描いた江戸時代の ”す組”とは、陀志(ダシ)と呼ばれる頭頂の標識部が違います。

 町火消と纏と袢纏

中央区観光情報センターで販売している ”江戸の華 手みやげセット” の写真です。

日本橋室町は "い組” 日本橋は ”ろ組” 京橋は ”せ組” の町火消セット。

擬宝珠内と呼ばれた「日本橋大通り」を守りぬいた町火消  の文字と

火事と喧嘩は江戸の華 と書いてあります。

 

 町火消と纏と袢纏

新富にある消防地蔵尊です。「1941年この地にあった家具製作所から出火し強風に煽られ火は七棟を焼き尽くします。逃げ遅れた女子従業員を救出に入った少年を含め三名の命が奪われます。跡地に京橋消防署新富町出張所が出来ました。然し事故が続いたり恐ろしい噂話が広まったので地蔵尊が建てられました。」と説明版にあります。

 

すっとこどっこいは中学1年の冬1月に火事に遭いました。深夜2時過ぎに祖父に起こされます。「まだ眠い」と言ったら「馬鹿野郎!死んじまうぞ!!」と怒鳴られます。目を開けたらガラス窓いっぱいにオレンジ色が揺らめいていました。曾祖母を負ぶって近所の知人宅へ逃げます。そこの物干し場から火事を見つめ震えていたのは寒さのせいだけではありません。2時間あまりで四か所連続の放火の4番目です。消防車が足りず区画の半分が焼け落ちました。

子供のころは毎年2~3回は火事を見ました。つい最近も月島と新富、江東区森下の ”火と黒煙” を目撃しました。江戸っ子だけど、どうも火事は江戸の華とは思えないのはトラウマでしょうか。

消防の方々への感謝の気持ちでこのブログを書き終えます。