初午めぐりは 春の福めぐり
「想い花咲き、実を結ぶ」
旧歴の初午3月1日から三の午3月25日まで、日本橋の神社六社をめぐる「初午めぐり」が行われています。
初午(はつうま)とはお稲荷様にとって特別な日で、和銅4年(711年)、2月(旧3月)最初の「午の日」に稲荷大神が稲荷山に鎮座したゆかりの日です。江戸時代の「初午」はお詣りし、お神楽やお囃子でにぎやかなお祭りとして江戸っ子たちの一大イベントでした。
急に春が来たようなポカポカ陽気の一日、稲荷神社を巡ってみました。
椙森神社
創建は江戸がまだ武蔵野の原と呼ばれた千年の昔。江戸時代には現在の宝くじの元と言われる「富くじ」を許されていた神社です。富くじは一獲千金を夢見る江戸庶民の楽しみでした。大正9年、記念として富塚(石碑)が建立されました。毎年9月2日(くじの日)10時3分(とみ)に祈願祭が行われて、富塚図入り紙符守りが授与されます。
「日本橋七福神」の一つでもあり、「恵比寿神」が祀られて、10月19日、20日には恵比寿神例大祭が行われ、縁日では「べったら市」が開催されます。
笠間稲荷神社
日本三大稲荷の一つ、茨城県笠間稲荷神社から分社され、江戸時代には旧藩主牧野成貞氏の邸の内にありました。五代将軍・徳川綱吉公も生母桂昌院とともに度々訪れています。別名を「紋三郎稲荷」。紋三郎は昔話の中で神通力を持った4匹の狐の兄弟の3番目。兄弟は仲間の狐が人に悪さをすることを嘆いて、罪滅ぼしにそれぞれが常陸国の各所に行って土地を拓くこととし、紋三郎は笠間に行って山を守りました。兄弟の力で各地は栄え、後に神として祀られました。境内には狐がいっぱいいます。
ラッキーカラーで願いが叶うおみくじがありました。私は「緑」が当たり、「自由の人」と書かれたおみくじに、緑の糸で作られた小さな叶結び(かのうむすび)のお守りが入っています。これからの季節に緑色が福を呼んでくれそうです。
末廣神社
400年以上の昔からこの近くに鎮座して、吉原の氏神でした。勝運を授け、災難をよける神様の毘沙門天を祀っています。本殿の工事中に扇が発見されたことから縁起の良い社号に。その扇はご神宝として残っています。
浜町に「火消屋敷」があったことから火消し達の信仰も篤く、「は組」の石碑が神社に奉納され現存しています。
また、大きな椎の木の根元に「末廣徳の石」があり、参拝した後に石の上にお金を置き、願いを込め、そのお金を持っていると徳運が貯まり、使っても徳運が広がるそうです。
松島神社
創建当時、周辺は入り江の小島で青松が生い茂っていたことから、この名がついたと言われます。江戸時代、周囲に芝居町が広がっていたため、人形細工の職人、呉服商人、歌舞伎役者、芸妓など、全国から集まって、それぞれの地方の神様も合祀されました。社殿には大国神をはじめ14人の神様がいます。11月には「酉の市」が開催され、多くの人で賑わいます。
日枝神社
江戸城の鎮守として徳川家の崇敬が篤かった山王日枝神社の摂社で神幸祭の御旅所です。
こちらの狛犬たちは上を見上げて胸を張っています。関東大震災後、運気が上向くようにと奉納されたものです。
また、兜町の隣で証券会社に囲まれた一角にあり、野菜のかぶを象った「カブ守り」があります。運気も株価も上がって欲しいですね。
福徳神社
福徳神社では初午祭のご祈祷をしていただきました。油揚げやお酒などのお供え物を置く台があり、のし紙に名前を書いて記念撮影、神前にお供えして頂けます。この日は甘酒横丁にある草加屋さんのお煎餅をお供えしました。
祝詞を上げていただき、宮司様のお話がありました。稲荷神社に狐がいるのは、お米を食べてしまう鼠を獲ってくれるから。猫は中国から来た外来種と言われていて、古来、狐が守ってくれていたそうです。
福徳神社は徳川家康や徳川秀忠も参拝したことで知られていて、二代将軍・秀忠公が参詣した際に、クヌギの皮付き鳥居に春の若芽が出ているのを見て、「芽吹稲荷」と名付けられたと言います。
3月25日まで「初午めぐり」開催中
ゆっくり歩いてめぐれるところにある日本橋のお稲荷さん、春を感じながら、街を見ながら、美味しいものを食べながら、お出かけになりませんか。
〈お問い合わせ〉 福徳神社:03‐3276‐3550
笠間稲荷神社:03‐3666‐7498
末廣神社:03‐3667‐4250
参考文献:「歩いてわかる中央区ものしり百科」
中央区観光協会