Silver Fox 007

思いがけないところで中央区 第2弾

2月末なのに4月の陽気のようなある日、成田山新勝寺に参詣しました。仁王門の大提灯は魚河岸の皆さんが奉納されたものと予習。成田山と中央区のつながりで思い浮かぶのは、私の場合まず歌舞伎・代々の市川團十郎ですが、魚河岸もつながりがあるんですね。それは拝見せねばと出かけました。

ご覧のとおり、お参りする人と比べると大きさをお分かりいただけますか。
赤い火袋に魚がしの文字が立派です。

魚河岸のロゴ入り

魚河岸のロゴ入り 思いがけないところで中央区 第2弾

提灯の下部を締める部分、正面背面と両サイドにはロゴが入っていました。この部分を何というのでしょうねぇ、以前に築地・津多屋さんに行ったとき、ちゃんと教わっておけばよかった・・・
それにしても粋なロゴじゃありませんか。正面背面は提灯と同じような文字で、サイドはこの写真。地紋は青海波、提灯の底面には龍の飾り、赤い火袋の側面から本堂側いっぱいに奉納した方々のお名前・社名が書かれていました。

仁王門をくぐった右手に、ボランティアガイドさんの詰め所があって、提灯がいつ頃からあるのか伺ったところ、もうずいぶん長い間あるとのことで、この提灯で3代目か4代目とのことでした。あとで1968年からの提灯だと知りました。1859年の広重作「下総成田山境内図」にも魚河岸の文字が見える提灯が描かれています。仁王門は1831年再建だそうですから、その頃にはあったのでしょうか。
成田山新勝寺の開山や本尊など、詳しくは成田山新勝寺のHPをご覧ください。ともかく、魚河岸の人たちは信仰心も厚かったし、イキで流行を引っ張っていく人たちだっただろうと思いました。

ここにも魚河岸が!

ここにも魚河岸が! 思いがけないところで中央区 第2弾

仁王門をくぐり、本堂の静けさに浸ったのち、境内案内図に従って奥へと進みました。
光明堂の裏手、奥之院こちらの札に導かれて巡ると、大きな天水桶。
え?丸に魚、日本橋講中?ってことは魚河岸が日本橋にあった時代に奉納?
背面に文化十一甲戌年とありました。1814年かぁ、そりゃ日本橋時代だわ。
それにしても、ひゃ~、思いがけないところで中央区!
1対の桶はどちらもヒビが入っているようながら、200年超の雨水をしっかり受け止めてきたんですね。
日本橋からどの辺まで船で来たのかなぁ?とか、街道起点の日本橋に集合して千住大橋を渡ってひたすら歩いてきたのかなぁ?などなど、当時のいなせな兄さんや旦那衆の道中を想像しました。

光明堂のそばにある額堂も、一つ一つじっくり拝見すれば、たくさんの中央区関連の額を見つけることができたのではと思いますが、天水桶との予期せぬ出会いに有頂天・・・パワー切れになりました。

どこへ行っても中央区

どこへ行っても中央区 思いがけないところで中央区 第2弾

これまでに「思いがけないところで」を3本書かせていただきましたが、どこへ行っても中央区の光景が浮かんでしまう、あるいは関連に吸い寄せられる私。
中央区が好きすぎる?特派員病??? (笑)
若い頃は銀座三越に開店した日本初マクドナルドしか目に入ってなかった反省もあり、髪がシルバーになり始めてから勉強を始めた特派員でした。目標の「月1本の記事」は最後まで達成できませんでしたが、つたない文を読んでくださってありがとうございました。

特派員は引退しますが、Love 中央区 は不変です。
中央区観光協会と特派員の皆様のご活躍を祈念し、素敵な街であり続けるよう願いつつ筆を置きます。