於満稲荷神社と「おまんが紅」
NHK大河ドラマ「どうする家康」が放送されています。中央区には徳川家康ゆかりの場所、人、物など、面白い伝承や歴史が沢山ありますが、今回、日本橋にある「於満稲荷神社」についてのお話しです。
八重洲1丁目から日本橋3丁目を通る「養珠院通り」にある「於満稲荷神社」を皆さんご存じでしょうか。
ビルの間にひっそりと佇む僅か一畳ほどの神社ですが、家康の側室「お万の方」ゆかりの神社です。歴史を調べてみると面白い逸話が沢山あり、江戸時代には多くの参拝者が訪れた人気の神社だったそうです。
家康の側室、お万の方
先日放送された「どうする家康」第10話では家康の最初の側室「西郡(にしごおり)の方」が登場しましたが、その後も家康はたくさんの側室を迎えました。お万の方は、家康が54才の時に17才の若さで側室になります。
紀州徳川家の初代当主となる十男の徳川頼宣(よりのぶ)、水戸徳川家の初代当主となる十一男の徳川頼房(よりふさ)の二人の男子を授かります。八代将軍徳川吉宗は曽孫に当たり、水戸光圀(水戸黄門)は孫に当たります。
天下人の家康に見染められ、徳川御三家を継ぐ二人男子を生み、当時の女性からすれば、幸運の象徴であり、憧れの存在だったのでしょう。
言い伝えでは、江戸の初め頃、於満稲荷のある京橋中橋の周辺に、幕府の休憩所があり、お万の方の御一行が、寺社へ寄進のため日本橋界隈で買い物をされ、地域の商業に大きな貢献をしたことから、地元の商人達によって神社が建てられたとされています。
於満稲荷神社は、今でも江戸城(皇居)の方を向いて建てられています。また、お万の方の院号「養珠院」は、於満稲荷神社の前の通りの名前「養珠院通り」にもなっています。
於満稲荷とおまんが紅
亨保年間(1716〜1736)になると、於満稲荷神社に大勢の参拝者が訪れるようにります。参拝者の多くは女性で、神社の前で売られていた紅の入った小さなお猪口(ちょこ)「紅猪口(べにちょこ)」を買い、於満稲荷にお供えして願掛けをしたそうです。
紅猪口のお供えなんて、江戸時代にこんな粋でお洒落なお参りがあったのですね。
享保年間は、ちょうど吉宗が将軍の時代です。
紀州徳川家から将軍になった吉宗。将軍の曾祖母で紀州徳川家の家祖であるお万の方を祀った於満稲荷神社がこの時代に人気を集めたのも納得です。
お万の方にあやかって、結婚や良縁、子宝や家族のことなどお願いしたのかもしれません。
於満稲荷神社の前で売っていたこの紅猪口が「おまんが紅」です。当時「京橋中橋 おまんが紅」という歌が流行し子どもたちに歌われていました。
また、江戸中期の浮世絵師、奥村利信の作品に「佐野川市松 べにうりおまん」という美人画があります。歌舞伎役者の佐野川市松が紅売り娘に扮し、「買わしゃんせ・・」と呼びかける。左手には紅猪口、右手には紅筆を持ち、「京橋 中橋 おまんがべに」と書かれた箱を背負っています。美人画にも描かれ、紅粉といえば「おまんが紅」と言われるほど知られた商品だったようです。
また、於満稲荷ゆかりの名物には、他にも「おまんが鮓(ずし)」「おまんが飴」などがありました。
(注1)出典:東京国立博物館研究情報アーカイブス, 初代佐野川市松のべにうりおまん, 奥村利信(江戸時代_18c)を加工
ビルの陰にひっそりと佇む小さな神社にも深い歴史がありました。江戸の昔に倣って、紅猪口をお供えして願掛けをしたら、ご利益があるかもしれません。
於満稲荷神社
住所:中央区日本橋3丁目3
参考資料:娘たちの江戸, 森下みさ子, 筑摩書房(1996)