「東京まんなかippin堂」のツアーでまち歩きに出かけよう
ー築地・明石町編ー
今回は、築地・明石町のツアーをご紹介します。
築地・明石町は同じ地区なのに、2つの違う雰囲気の街を歩きます。幕末に結ばれた日米修好通商条約に伴い、外国との貿易が始まり築地は港として、明石町は外国人居留地として開市されました。時代が明治に移る混乱の中で、江戸の商業は衰退していき、明石町にはキリスト教宣教師、医師、教師が住むようになり、聖路加国際病院を始め、教会、ミッションスクールができました。明治時代、ここは異国情緒あふれる西洋の街でした。十字架の塔からは毎日3回、鐘で聖歌のメロディーが流れています。
関東大震災後、築地は東京都の中央卸売市場に。隅田川の近く、和と洋の街並みをお楽しみ下さい。
かつて土佐藩邸があった中央区役所から出発
集合は中央区役所正面入口前です。こちらの住所は、中央区築地1-1-1。東京メトロ有楽町線「新富町駅」1番出口を上がるとすぐです。江戸時代には土佐藩山内家の中屋敷や下屋敷が幕末までありました。土佐藩は薩摩藩・長州藩と並んで明治維新の先頭に立っていました。
土佐勤王党を結成して幕府打倒を掲げた武市半平太、薩長同盟を成立させ、大政奉還を提言した坂本龍馬も江戸にいる時にはこの地の土佐藩築地邸に寄宿しながら、剣術道場へ通っていました。
築地外国人居留地の名残り
明石町を歩いていると、ガス街灯の柱やレンガ塀の一部が残っていて、中でも聖路加国際病院の敷地内にある聖ルカ礼拝堂と創立者で宣教医師トイスラ―記念館は居留地時代を物語っています。聖ルカ礼拝堂はネオ・ゴシック様式の教会で、入院や外来の患者や家族、病院職員や学生の祈りの場として設けられました。現在、聖路加国際病院は都内屈指の総合病院で、この病院があったために東京大空襲の爆撃を免れた、と言われています。
カトリック築地教会
今の明石町で居留地時代を思わせる聖堂です。明治7年(1874)長崎、横浜に次ぐキリスト教会として建設されました。関東大震災で焼失したため、昭和2年(1927)パリにある聖マグダレナ天主堂を参考に、ギリシャ神殿パルテノン様式で建てられました。
敷地内には銅製の洋鐘があります。明治9年(1876)フランス・レンヌで鋳造された鐘で、その後日本に送られました。江戸の使途的宣教師であるルマレシャル師によって「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と名付けられました。戦時下に金属として提出されそうになったのを免れ、保存されています。
学校発祥の地
○暁星学園 ○立教女学院
○立教学院 ○女子学院 ○双葉学院
キリスト教系の学校の多くがこの地で開校しました。街のあちらこちらに学校発祥の地碑が置かれています。
慶應義塾と蘭学事始
外国人居留地になる以前、この辺りには豊前国(大分県)中津藩奥平家の中屋敷がありました。安政5年(1858)中津藩出身の福沢諭吉は藩命を受け、この地に蘭学塾を開き、後に慶應義塾大学へと発展しました。碑は昭和33年に大学創立百周年を記念して建てられました。
また、同藩の藩医で、蘭学者でもあった前野良沢は、杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周らと中屋敷に集まり、オランダ語の医書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組み、安永3年(1774)「解体新書」を出版。当時の苦心の様子が『蘭学事始』に詳しく書かれています。昭和34年に地碑が建てられました。
築地本願寺
京都西本願寺の直轄寺院です。当初浅草横山町にあった坊舎は明暦の大火(1657年)で焼失し、その後幕府から与えられたこの地は海の上、佃島の門徒の人たちが埋め立てて御坊を建てました。土地を築いたことから「築地」と言われるようになり、この建物は昭和9年(1934)に伊藤忠太の設計により古代インド様式を模して造られました。国指定重要文化財です。本尊は阿弥陀如来立像、境内にはステンドグラスがはめられていて、パイプオルガンが荘厳な雰囲気をたたえています。
築地波除稲荷神社参詣
築地の守り神「波除稲荷神社」です。江戸の初め、築地一帯は一面の海でした。波浪により埋め立て工事は困難を極め、何度堤防を築いても波にさらわれてしまいましたが、海中から得た稲荷明神の像を社殿を造りお祀りしたところ、波浪がおさまり工事を進めることができました。
境内には海の七福神もいます。「ホタテい、フグろくじゅ、べんサザエてん、エビえびす、、、」名前も楽しい七人の神様です。
境内には、日本一の大きさを誇る夫婦の獅子頭がいます。雌の大獅子はお歯黒で、頭の上の宝珠の中には紫水晶をご神霊として抱く弁財天像が祀られています。雄の獅子頭は、願いを書いたお札を持って横から後ろへ回り、お札をおさめることが出来ます。私はいつも「中央区観光検定試験」の受検前にお参りしています。雲を従える青龍、風を従える白虎、などもご覧下さい。
今年は4年ぶりの「つきじ獅子祭」も行われました。
築地場外市場散策、総合案内所「ぷらっと築地」まで
中央卸売市場が豊洲に移った後も築地場外市場は活気にあふれ多くの人で賑わっています。お昼も近くなりお腹も空いてくるころですね。場外市場のいろいろなお店を見ながら散策し、総合案内所「ぷらっと築地」で解散になります。解散後は築地場外市場でお買い物、お食事な等ごゆっくりお過ごしください。
参考資料:・歩いてわかる「中央区ものしり百科」
中央区観光検定委員会 監修
・ 中央FM「中央区街角スケッチ」
中央区観光協会では、おもてなしスタッフがご案内するまち歩きツアーを販売しています。
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