不逢知比呂

銀座の喫煙具専門店

今回は、私のようなパイプスモーカーならば一度は訪れたことのある名店、銀座菊水さんへとお邪魔した。 今回取材にあたり、同じクラブに所属する仲間である今井龍也氏にご尽力いただき、 お陰で社長の内藤裕幸さんに直接お話を伺う事が出来た。 お二方共、非常に興味深いお話を誠にありがとう存じました。

とても歴史のあるお店、その沿革の全てとなるとブログには書ききれないので少し。 菊水さんは明治36年、(1903年)日露戦争の前の年に創業された。 次の写真はそれぞれの年代のお店の外観である。

 銀座の喫煙具専門店

大正14年頃

 

 銀座の喫煙具専門店

昭和26年頃

 銀座の喫煙具専門店

昭和39年頃

 銀座の喫煙具専門店

昭和49年

 銀座の喫煙具専門店

平成23年

人生の浅い私などは緑色の看板の頃からしか記憶が残っていないが、これを見るだけでも それぞれの時代において、いつも銀座の喫煙具専門店として存在されていたのがわかる。

内藤社長のお爺様にあたる内藤長一氏の著した私家版『白い花』によると、関東大震災、第一次世界大戦、日中戦争、第二次世界大戦と激動の時代における東京・銀座の変わりぶりは凄まじいものであった。そして時代の変わり目その折々において柔軟に対応され、現在まで残っているということは並大抵のことではない。 ここで、『白い花』の中から少し私の感じたあの素晴らしいお店の理由がわかるような文章を抜粋させていただく。

以下本文 「銀座は銀座らしい商品を作り、販売するようにしなければならないと思います。新宿でもある、浅草でもある、銀座でもあるというような所謂大量生産に対抗する商品を案出して対抗しなければならないと思います。そしてさすがに銀座調の商品であるといえる物を扱うべきだと思います。」

いかがだろうか。この言葉には専門店の多かった素晴らしい大銀座にお店を構えられていた先人たちの矜持が感じられる。また、戦後たばこが入ってこない時期にも、修理専門でパイプ職人の方を雇っていたなど、長く続いてこられたであろう秘訣は枚挙に暇がない。

さて、現代の菊水さんの店内を見てみる。

 銀座の喫煙具専門店

写真のようにパイプ一つ一つが丁寧に、まるで宝飾品のように大切に陳列されていて自分のコレクションを選ぶ時のワクワク感を誘う。大事にされてきたパイプを家へ頂く。 そんな心持になる。 そしてそれが昔から続いているのだろうと感じるのは、店の奥へ鎮座されましたるアンティークのメシャムパイプだ。

 銀座の喫煙具専門店

これは一朝一夕に出せる雰囲気ではない。 私もアンティークのメシャムを少しばかり集めているのでわかる。 ここを見て、『白い花』に書いてあったことに大変歴史を感じ、思わずニヤけた。

最後に、内藤社長にこれからの銀座の喫煙具専門店として、どのようなことを考えていらっしゃるかお聞きした。 社長は、「インバウンドの中、大人のたしなみ・文化としての煙草を小売りとして発信していきたい。菊水にしかできないこともある。」とおっしゃった。

コロナ禍のおうち時間によりパイプ人口も増えたという昨今、 東京は銀座の喫煙具専門店、菊水の気概はまだまだ健在のようだ。