写楽さい

■中央区歴史逍遥<6> 賀茂真淵没後250年④
~江戸期の墓碑が今も 国指定史跡の墓地~

 賀茂真淵は明和6年(1769)10月30日、浜町の隠居邸「県居」で73歳の生涯を閉じた。真淵の言により東海寺少林院後山に埋葬されたという。現在、墓は東海寺大山墓地にある。石塀に囲まれた広い墓域の入口には、寺であるにもかかわらず鳥居がある珍しい設えである。その奥に墓石、墓碑が建てられていて、国指定史跡になっている。

 ここ大山墓地には東海寺開祖の沢庵和尚墓、鉄道の父・井上勝墓、西村勝三墓などがある。場所は京浜急行「新馬場駅」から西へ徒歩約10分の線路に挟まれたところ。品川区北品川4‐11‐8。本山の臨済宗萬松山東海寺とは離れた場所にある。

「江戸名所図会」に描かれた石碑が、今に伝わる

「江戸名所図会」に描かれた石碑が、今に伝わる ■中央区歴史逍遥<6> 賀茂真淵没後250年④
~江戸期の墓碑が今も 国指定史跡の墓地~
 ■中央区歴史逍遥<6> 賀茂真淵没後250年④
~江戸期の墓碑が今も 国指定史跡の墓地~

 『江戸名所図会』には「少林院林泉県主大人墓」と題した挿絵が載っている。「大人」は「うし」と読み、師匠・学者の尊称。本文には「県居大人の墓 塔頭少林院の後ろの山にあり。当院過去帳に玄珠院真淵義竜居士とあり」とある。

 図会の挿絵を拡大したのが下の図である。石碑には「加茂(賀茂)縣(県)主大人墓」と読める。この石碑の揮毫は、門人である八丁堀与力‣加藤枝直の子、加藤(橘)千蔭の筆によるもの。現在は写真上の左側に写っている石碑がそれである。250年前の情景が今ここに存在しているのだ。

墓石に秘められた、賀茂真淵の考え

墓石に秘められた、賀茂真淵の考え ■中央区歴史逍遥<6> 賀茂真淵没後250年④
~江戸期の墓碑が今も 国指定史跡の墓地~

 真淵の墓石は、その周囲を2段の丸い石で築き固めた墓壇の中央に、半円形の自然石が据えられている。この丸い墓石には、真淵が述べる「方円論」が反映されているそうだ。

 これは「方(けた)=角ばっていること=人為」と「円(えん)=丸いこと=自然」を対比し、「人為」でなく「自然」によるべきであり、「円」こそが大切である、と説く考えだという。(参考:賀茂真淵記念館発行、『縣居通信』平成30年9月号)

 東海寺大山墓地の賀茂真淵墓は250年の時を刻み続ける貴重な史跡となっている。(@AM)