「東京まんなかippin堂」のツアーでまち歩きに出かけよう
ー人形町編ー
長かった今年の夏もようやく過ぎて、まち歩きに出かけたくなる秋になりました。今回は江戸時代に浮世絵や読み物の出版元があった大伝馬町から江戸歌舞伎や人形浄瑠璃,花街の粋が残り、親しみやすい下町文化が続く人形町をご案内します。
蔦屋重三郎の「耕書堂」があった大伝馬町
2025年の大河ドラマの主人公は江戸時代の名だたる老舗の出版元「耕書堂」を営んでいた蔦屋重三郎です。葛飾北斎や東洲斎写楽の絵師の作品を出版し、山東京伝、滝沢馬琴、十返舎一九など、次々と人気作の本を上梓して世を沸かせました。
当時日本橋通油町と呼ばれていたこの一角には本屋が軒を連ねていて、風に混じって紙と墨の匂いがしたと言います。
集合は東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」、1番出口から地上に上がった所でお待ちしてます。
椙森神社(日本橋七福神)
日本橋七福神の一つで、江戸時代には幕府から「富くじ」を許されていた椙森神社です。現在の「宝くじ」と同じように、一獲千金を夢見る江戸庶民の楽しみでした。それから103年の長い間途絶えていたのですが、昭和20年に復活、今に至っています。大正9年、富塚の碑が建立され、ここで「富くじ」の興行が行われたことを記念しています。
また、商売の神さまである「恵比寿神」が祀られて、毎年10月19日、20日には例大祭が行われ、にぎやかな縁日、「べったら市」が開催されます。
大観音寺
ご本尊は鉄造聖観世音菩薩。源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時に北条政子が京都清水寺に帰依し、鎌倉の地に「新清水寺」を創建、本尊として祀られました。その観音堂が火災で焼け崩れてしまい、江戸時代に八幡宮の鉄井(くろがねの井)という井戸から仏頭が掘り出されました。明治9年にこちらの大観音寺に移されてからご本尊として安置されています。高さ170㎝、幅54㎝の大きな仏頭は毎月11日と17日に御開帳され、信仰を集めています。
また非常な速さで駆け、魔鬼を排除するとされる韋駄天も祀られていて、マラソン大会の前にはたくさんのランナーがお参りに訪れます。
芸者新道
人形町は東京大空襲の戦火を奇跡的に免れ残った町です。かつては芳町花街だった風情あふれる小道を歩きます。「きく家」は東京随一の酒亭で夜は路地に灯りがともって風情を増します。「よし梅芳町亭」は昭和初期に建てられた木造2階建て数寄屋造りで、登録有形文化財に指定されています。芳町が花柳界として全盛にあった頃は待合として、また一時期は女優・花柳小菊の住居でもありました。
小網神社(日本橋七福神)
「小網神社」は伊勢神宮を本宗として約550年前に鎮座しました。古くから強運、商売繁盛の福の神として信仰を集めて来ました。第二次世界大戦の時にこの地域から出征した人は全員帰って来たそうです。社殿も関東大震災で焼失後、昭和4年に再建され、戦火を免れました。
こちらの神楽殿は五角形で、建設当時平屋だったのですが、のちに一階が倉庫になり、その上に移設されました。新嘗祭では里神楽舞の奉納とお囃子が披露されます。
毎年その年にとれた新米をどぶろくにして、11月23日に新嘗祭で奉納し28日前後に参詣客に振るまわれます。このどぶろく祭りの日から正月までの期間「すすきみみずく」が授与されます。
末廣神社(日本橋七福神)
江戸時代初期に吉原は人形町にあり、その氏神だった末廣神社は400年以上の昔からこの地に鎮座していました。本殿の工事中に扇が発見されたことから縁起の良い社号に。その扇はご神宝として保存されています。境内にあるご神木、楠の根元にある石の上にお金を置いて「いや、すえひろがり」と願いを込めると、そのお金を持てば福徳が来、使えば福徳が広がるそうです。
勝運を授け災難を避ける神、毘沙門天と町火消の「は組」に守られてきました。
甘酒横丁
明治時代、この通りの入り口に「尾張屋」という有名な甘酒屋があったことから、明治座までの400mの通りは「甘酒横丁」と名付けられました。美味しい老舗が並んでいる人形町ならではの商店街です。焼きたての人形焼き、たい焼き、お煎餅にほうじ茶の香り、新しいスィーツや紅茶、レストランや持ち帰り寿司、惣菜、酒屋、、、などなど、数えたらきりがない散歩道をお楽しみください。
ツアーはここで終了となりますが、お昼に名店の和風グルメを召し上がって、おやつや夕飯のおかずをお持ち帰りにいかがでしょう。
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