たけちゃん

#文学散歩
夏目漱石で有名な「三四郎池」に行ってきました

こんばんは。「たけちゃん」です。

11月上旬の三連休の中日に本郷三丁目付近をブラブラと歩いてきました。この付近は旧加賀藩のお屋敷跡に東京大学が建てられ、その影響からなのか数多くの文学者が住居を構えた地域です。東大構内のブラブラのお目当ては「三四郎池」。夏目漱石の長編小説『三四郎』のモチーフとなった三四郎池。

東大本郷キャンパスは、江戸時代には加賀藩上屋敷でした。三四郎池は江戸時代の大名庭園「育徳園」の一部です。正式名は「育徳園心字池」といいます。寛永6年(1629)4月、前田家3代藩主利常の時に、徳川3代将軍家光・大御所秀忠の御成(訪問)があり、それに先だって豪奢な御成御殿や数寄屋を新築し、庭園を整備したと言われています。この庭園が育徳園であり、池を「心字池」といいました。

夏目漱石の『三四郎』で三四郎と美禰子(みねこ)がこの池のほとりで出会ったため「三四郎池」と呼ばれるようになったようです。

ちなみに夏目漱石は日本橋の「木原店(きわらだな)」と呼ばれた路地に通っていたそうですね。コレド日本橋の脇には「名水白木屋の井戸」の碑「漱石名作の舞台」の碑があります。「木原店」の由来は、徳川家康の江戸入府後に、町割を手がけた大工頭の木原内匠が住んでいたからだということです。幕末の頃からぽつぽつと現れた飲食店が明治30年代頃には軒を連ねるようになり、「食傷新道(しょくしょうじんみち)」の別名でも呼ばれるようになった路地です。残念ながら今は石碑だけが当時の面影を伝えています。

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夏目漱石で有名な「三四郎池」に行ってきました