魚屋宗五郎などが見た魚河岸の板舟?
1月の新春浅草歌舞伎「魚屋宗五郎」に続いて魚河岸の話題を。日本橋の魚河岸ではどのような感じで魚を売っていたのでしょうか?
魚を並べる板のことを、板舟と呼びます。板舟とは魚を並べて売る戸板のことで、マナ板の裏を浅い縁で囲い、少しの冷水を入れ、生魚を入れます。その形状から板舟と呼ばれます。幅一尺(約30cm)、長さ5~6尺の平板を店頭の軒下から公道に差し出して魚の売り場にしました。公道は両側から出た板舟によって狭くなっていました。大正・昭和の時代にはこれを使うには東京市の許可が必要であり、これを「板舟権」と称しました。この権利は組合に登録され、板舟権がなければ市場内で商売が出来ませんでした。
板舟権の売買
この板舟の所有権は売買、賃貸借によって入手するか、相続で入手するしかありませんでした。板舟権は組合員に限って売買、賃貸借及び担保の目的とすることが出来ましたが、譲渡人が依然、土地家屋を所有する時は、譲受人は毎月「ニワ銭」として賃借料の50%以内を譲渡人に支払うことになっていました。板舟権と土地家屋の所有権とは別の概念のものでした。
板舟権は江戸時代に発生したもので複雑な伝統あるものでした。『魚市場沿革紀要』に次のように記されています。
「按ずるに魚商人は各自戸板を設け、魚類を販売せしに始まり、その後河岸通りに納屋を設け、納屋前に庇板、流しを作り、本船町通りに、麻ちょ(麻で織った布類)や船具などをひさぎ、商人居住せしが、後年魚商各自市場に居住を占めるに至れり。板舟権は大正初年には総延長7,236尺(2,170m)であったが、市場の発展且つ警察の認可によって漸次増加し、魚市場移転時(日本橋→築地)には9,100尺に達しました。賃貸借価格は1等から7等があって、一尺/月の料金は最低2円40銭から14円86銭に分布していました。売買価格は一尺につき最低250円から1,300円の間に分布し、総価格は7,097,683円に上りました。(東京都中央卸売市場史上巻より)