庭園。その土台に見える海上防衛の基地
この石垣は、さて、どこにあるのでしょう。
きっと、見覚えがおありだと思います。
ほら、あそこ。
大手門橋の橋上から築地川に沿って見た、浜離宮恩賜庭園の北側の外郭です。
庭園に向かう正面玄関とも言える位置ですから、必ず目にしているはずなのですが、意外に流してしまう場所かもしれません。
樹木に囲まれている石垣の膨らみが、横矢掛り(よこやがかり)のようにも見えます。
石垣の張り出しを利用し、弓矢を射て側面攻撃をする方法です。
庭園内に入り、時計回りに進んでみます。
水上バス発着所の先、東京湾に面した東側の水際を見てみましょう。
石垣が組まれています。
将軍お上がり場も、乗船し易いように石段状になっています。
更に富士見山を回って、南側の汐留川の水際は。
滑り落ちないように気を付けて。
石垣確認。
中の御門橋から外に出て、海岸通りを歩きます。
庭園の西側は、きれいに整えられた石垣が姿を見せています。
園内約500m四方の周囲が石垣で覆われ、湾上に鋭く突き出しています。
庭園は、慶長8年、徳川家康の命により「御鷹狩場」として整備されたのが始まりでした。
慶長8年(1603年)は、まさに家康が江戸城の拡張を天下普請により着手した年です。
未だ、関ヶ原の戦いの傷が癒えず、戦国の気風が吹きすさぶ時期。
江戸城から直線で2㎞の海上に、ただ庭園のみを目的とした施設は作らないでしょう。
石材の少ない地域に、これだけの石垣を築いているのです。
内堀も石垣で固めています。
内堀は、資材搬入に、火除けの施設としても有効に使われていたようです。
浜離宮の内堀
今はやりの、江戸時代と現代の地図を比較できるアプリを覗いてみます。
庭園の域内に、大手御門、浜御殿奉行、水主頭、御船蔵、船番所などの名が見えます。
やはり海に突き出した軍事拠点と見ても良いのでしょう。
郭内に、表馬場と内馬場。軍事施設である馬場を二つも構えています。
四国香川県の高松城(別名玉藻城)は、近代城郭の海城(うみじろ)としては最大規模を誇ります。
そこを、地元のガイドさんに案内していただいたことがあります。
玉藻公園として公開されている高松城の、瀬戸内海に満する海城の気分が、浜離宮にも漂っていると思いました。
高松城は、濠に海水が引かれ、海の満ち引きがある。
城内に桜の名所である「桜の馬場」がある。
松平家の別邸である大正6年に竣工した「披雲閣」のたたずまい。欄間や釘隠しに施された工夫の数々が、浜離宮の御茶屋のにも見ることができます。
将軍お上がり場
ここまで書いていて、ふと、浜離宮恩賜庭園のパンフレットを読み返してみました。
「・・・江戸城の『出城』としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です。」
あれえ、出城の件って、以前から記入されていましたっけ・・・。
時代に応じ、鷹狩場、庭園、海軍基地、迎賓館など多彩な役割を果たして浜離宮。
私は四季折々の花木を楽しみに、浜離宮の年間パスポートを購入しています。
そして、庭園に隠された江戸時代の海上防衛の姿を求めようと歩き回ったのですが、出城としての位置付けはもう公認されていたのですね。
それが分かれば、庭園の見え方も、これまでとは違ったもになってきました。