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【遠足シリーズ第16弾】琉球と海軍兵学寮に貢献した英国人


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
まだ梅雨が明けない関東ですが、そろそろ暑い夏が到来しそうな気がしませんか^^
夏と言ったら、青い空青い海
青い空青い海と言ったら、沖縄ではないでしょうか?
ということで、今回は沖縄(琉球)とここ中央区で日本の近代化に貢献したお雇い外国人に焦点を当ててみたいと思います。

バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850-1935)

今回の記事の主人公は、バジル・ホール・チェンバレン
(※Basilはバシル、ベイジル、ベージルとも表記される。)
1873年(明治6年)5月に来日した英国人(イングランド・サウスシー生まれ)で、個人の英語教師、海軍兵学寮の英学教師を歴任後、東京帝国大学(現・東京大学)の文科大学教師(博言学、日本語学)となり、1891年(明治24年)3月に外国人として初の東京帝国大学名誉教師となった人物です。

 【遠足シリーズ第16弾】琉球と海軍兵学寮に貢献した英国人


特に現在の沖縄と西洋の接点を語るうえで、彼の『朝鮮・琉球航海記』(1818)は重要!
この航海記は英国人に向けてのみならず、各国語に翻訳されることで、琉球事情を初めて西洋に詳しく紹介する役割を果たしました。
その他にも、和歌を詠んだり、日本文化を研究し紹介したりと、日本文化の西洋への伝達には大いに貢献しています。

 【遠足シリーズ第16弾】琉球と海軍兵学寮に貢献した英国人

(セントヘレナ島に幽閉中のナポレオン1世との会見にて、琉球を「武器のない国」と紹介)

彼の偉業を挙げるときりがないので、今回は当時の学生からみたチェンバレン先生とはどのような人だったのかといった現代を生きる私達でも気になる話を含め、海軍兵学寮教師時代のエピソードをご紹介します♪

海軍兵学寮教師時代のチェンバレン氏

澤(1942)によると、1874年(明治7年)7月、海軍兵学寮は「和漢學にも通じ和歌を詠み、王堂と號して」いた「英國人文章博士、チヤンブレン氏を教師に招聘」。
実のところ彼の雇用年月日については色々な説があり、海軍兵学校(1968)では明治十四年の箇所で、「四月一日 本日より一ヶ年間英國人「バシル、ホール、チヤムブルレーン」英學數學教師トシテ雇入ル」、「雇入年月日 一四.四.一」、「解約年月日 一五.三.三一」と、東京大学附属図書館のウェブサイトでは、「明治7(1874)年9月1日より海軍兵学寮の英学教師」 と記載されています。

明治初期に海軍兵学寮で英語を教えていたことは確かですが、この件に関しては引き続き調べてみたいと思います。

さて、話は変わりますが、上記記述の中に気になるワードが1つありました。
それは、文系のイメージの強いチェンバレン氏が、数学も教えていたことを示す「數學教師」。
幸い、これについては澤(1942)が面白いエピソードを書き残しています。

 【遠足シリーズ第16弾】琉球と海軍兵学寮に貢献した英国人


「英語に關しては、彼是申述べる必要はありませんが「ユークリッド氏」の幾何学を教へてLet A. B. C.は何々の三角にして、何それの理由により何々となる。故にと云ふ英字はTherefore, Hence, Because, Whesefore等同意味であつても、原書通りの順序に書かなければ、決して全點を與へられず、甚しきに到つてはフルストップ(.)とコンマ(,)又はコーロン(:)とセミコーロン(;)の區分も必ず原書と同様でなければ罰點を附せられました。内々推察するに先生は英語、文學は博士であるが、數學類は左程迄研究はなかつたのでありませう。忽ちに王堂先生にニックネームを呈しまして、「レットABC」先生と稱しました。當時の生徒連が對話の時は、この困却したるレットABC先生の噂をいたしたものでした。」(p. 270)

私も学生時代に友達と一緒に先生にあだ名をつけたことがありますが、海軍兵学寮の生徒たちも同じだったのですね^^
急に親近感がわいてきましたが、そんな生徒たちは英国式の英語教育を受け、卒業證書、修業證書、學業優等に對する賞與品の附札等はいずれも英文だったそうです。
正直ここまで本格的に英語を勉強していたとは思っていなかったので、非常に驚きました!

海軍兵学寮での英語教育やチェンバレン氏についてさらに詳しく知りたい方は、以下の文献等をご覧ください。

参考文献・ウェブサイト、関連記事

【参考文献】
海軍兵学校編『科軍兵学校沿革-明治二年~大正八年』(原書房、1968年)
財団法人海軍歴史保存会『築地と海軍』(海軍歴史保存会、1994年)
澤鑑之丞 述著『海軍兵学寮』(興亜日本社、1942年)
波平恒男「琉球人の近代西洋との最初の出会い―バジル・ホール著『朝鮮・琉球航海記』(1818)を中心に」『北東アジア研究』別冊第4号(2018年9月)
http://hamada.u-shimane.ac.jp/research/organization/near/41kenkyu/kenkyu_sp4.data/hokutouSI4_12_Namihira.pdf(2019年6月24日閲覧)
Grayson, James. “Basil Hall’s Account of a Voyage of Discovery. The Value of a British Naval Officer’s Account of Travels in the Sea of Eastern Asia in 1816”. Sungkyun Journal of East Asian Studies, Vol. 7, No. 1, 2007. https://sjeas.skku.edu/upload/200707/1-18Grayson.PDF. (Accessed 25 June 2019).

【参考ウェブサイト】
東京大学附属図書館「バシル・ホール・チェンバレン」https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/html/tenjikai/tenjikai97/chamb.html(2019年6月24日閲覧)
Parlett, Harold. “Obituary: Professor Basil Hall Chamberlain”. Bulletin of the School of Oriental Studies, University of London, Vol. 8, No. 1, 1935, pp. 284-285. JSTOR, http://www.jstor.org/stable/608165. (Accessed 25 June 2019).

【関連記事】
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