関東大震災から100年~復興橋梁「海幸橋」~
波除稲荷神社の近くに上記の説明板がありますが、海幸橋は震災で被災した日本橋魚市場の築地移転に先立ち、築地川東支川に架けられた築地六丁目の波除神社から築地場内市場に入るための入口の橋でした。海幸橋という名前は海産物にちなんだ”海幸”を冠した名前が付けられました。
(写真提供:中央区立京橋図書館、画像に地名を挿入しています)
上記の写真を見ると海幸橋が、築地川東支川にかかる、築地場内市場の入口というのが分かります。東京市中央卸売市場築地本場は、1933(昭和8)年12月13日に竣工し、1935(昭和10)年2月12日び正式に業務を開始しますが、海幸橋はそれに先立ち1927(昭和2)年に完成しました。橋梁設計は、東京市道路局の技師により、施工は株式会社横河橋梁製作所(現在の株式会社横河ブリッジ)が行いました。
(写真提供:中央区立京橋図書館)
説明版は、築地川南支川から見た写真が掲載されていますが、上記の写真は、波除神社方向から築地市場を眺めた写真になります。太い桁を主構造とする鋼桁橋で、細くなだらかな曲線のアーチ(補強部材)が特徴的な橋長27.5m、幅員15mの下路ランガ―橋でした。
しかしながら,築地川東支川は、北門橋から市場橋間が、1977(昭和52)年6月に埋立が認可され、翌年の昭和53年3月に工事が完了しました。また市場橋から海幸橋までの水面は1995(平成7)年に埋め立てられました。そして2002(平成14)年に海幸橋は4基の親柱を残して撤去されました。この親柱は昭和初期の橋梁デザインを伝える貴重な土木遺産として2003(平成15)年4月1日に中央区民有形文化財として登録されています。
参考文献:
江戸東京川の歴史と水辺の辞典 鈴木理央
中央区広報紙コラム「区内の文化財」