日本橋弁松所有の絵葉書考察
日本橋魚河岸関連の資料を探している最中に、日本橋弁松さんが所有している明治44年当時の絵葉書を見つけました。単なる絵葉書にすぎませんが、じっくり見るとその当時の状況が見えてきます。
三越側(日本橋魚河岸側)から通町側(南側)を見た写真です。左端には、架橋工事の際に路面電車が迂回していた電車用の橋がまだ残っております。また、日本橋の反対側には、歩行者用の仮橋もまだあります。高速道路もないすっきりした形式ですね。
「仁丹」の看板の隣りの、「冷蔵函」の看板にもご注目してください。「れいぞうばこ」なのか「れいぞうかん」なのか読み方は不明ですが、これは当時出始めていた「氷冷蔵庫」の商品名です。氷冷蔵庫とは、木製の箱の上の棚に氷を入れ、下の棚に食品を入れて保冷するというクーラーボックスのようなもので、帝国冷蔵というメーカーの商品名が「冷蔵函」、「冷蔵器」と名付けたメーカーもあったそうです。私の子供のころ(昭和20年代)には我が家にもこの冷蔵函がありました.。思い出します。)
仁丹塔があったらこんな感じ?
大正時代の魚河岸の店舗レイアウト図によると、魚河岸発祥の地の碑がある辺りに仁丹塔があったと書かれていますが、塔ではなく仁丹の広告の電信柱があったということのようですね。
国分ビルからの風景
同じアングルで大正4年頃に撮られた1枚です。撮影場所は、現在の国分ビルの位置からですが、1枚目よりも目線が上からになっております。これは、国分グループの前身の国分商店の新しいビルが大正4年に竣工し、1枚目の時よりも高い位置から撮影できるようになったからでしょう。
「冷蔵函」の看板はなくなってしまいました。冷蔵函が普及して広告が不要となったのか、費用対効果が悪かったのでしょうか? そして、魚河岸が白壁の建物になりました。日本橋の架け替えに伴い、魚河岸も再開発されたのかもしれません。
② オランダの会社へのお土産について
私が経営している会社が販売するソフトウェアはSightcorp(オランダ)の商品です。7月末から約1週間その会社を訪問し打ち合わせをしてきました。その際4月のブログに書いた提灯を土産に持って行き、喜ばれましたので報告します。ちょっとかさばりますが、軽いですので海外へのお土産には最適です。
提灯に書いた漢字の説明をすると大いに喜ばれます。Sightcorpという会社名を提灯に入れましたが、喜ぶように以下の細工をしました。
サイ 彩
ト 都 Brilliantな都市=アムステルダム(会社はアムステルダムにあります)
コー 鼓
プ 舞 会社を刺激して、活性化する
という意味を示します。御用提灯で顧客をarrestすると説明して、喝さいを浴びました。因みに提灯は日本橋堀留町川瀬商店製。