2024 江戸東京の大路巡行と道路元標上の"差し上げ"
6月9日、京橋·日本橋エリアで、日枝神社 山王祭「下町連合渡御」が繰り広げられました。 「下町連合渡御」は、戦後都市化の進行で担ぎ手が減少し、各町会の神輿渡御も活気が失われ、危機感を覚えた日本橋の青年部が同祭を全体で盛り上げるため、2002年に京橋に声掛けして開催された2地区の連合渡御が始まりと聞きます。 その後、2006年に茅場町が、2008年に八丁堀が加わり、現在は4地区の氏子たちが連携し、計16基(茅場町二三、茅場町一、兜町、八丁堀二西、八丁堀四東、八丁堀三西、八重洲一東、日本橋一、江戸橋、日本橋三西、日本橋二通、京橋二東、京橋一、宝町、京橋二西、京橋三)が、江戸時代、市中で擬宝珠を冠した数少ない橋「京橋」「日本橋」間(擬宝珠内)を、平成26年以降、中央通りを全面封鎖し、地元の鳶頭衆が木遣りで先導し、道路いっぱいに広がり練り歩きます。 日本橋上では、お隣、室町·本町の町会(神田明神氏子)が高張提灯を掲げ境界線をつくり出迎える中、折り返し、「日本国道路元標」付近で、一基一基神輿が天高く "差し上げ" られます。 担ぎ手の高揚感が最高潮に達し、折り返し後、後続の神輿と両車線をすれ違い巡行する様も壮観です。