にぎわいと1号店のあるまち、中央区 前編
2024年現在、日本には数多くの飲食店のチェーン店があります
コーヒー・ハンバーガー・ステーキ・そば・牛丼・うどん 本当に色んな種類のものがチェーン展開され、安価で良質なものを手軽に楽しむことができます。本当にいい時代になったものです。
日本橋と言えば五街道の起点
中央区と言えば数々の老舗や百貨店の起源の街
であるのは、これまでの歴代特派員の方々が紹介をしてきたと思いますが
実はチェーン展開される飲食店も多くが中央区を起源としております。
私の方で調査をした所、上記の表のとおり結構あるんですよ(黄色ハイライトは現在も営業中店舗)
現在日本全国どこにでもあるようなお店が、ここ中央区を発祥としております
今回はこれら一号店についてお話ししていきたいと思います
牛丼の吉野家
言わずと知れた牛丼の老舗、吉野家は1899年に東京都中央区日本橋の魚市場で個人商店を開業したのが始まり。関東大震災後に築地に移転するも、東京大空襲で被災して消失
終戦後は直ぐに屋台で営業を開始し、その後1947年には、のちの吉野家一号店となる築地店を開店したといわれております
ご存知の方も多いと思いますが、その後築地一号店は長らく愛されてきましたが
2018年に築地から豊洲に市場が移転するタイミングで閉店しました
最後に長蛇の列が出来たのは記憶に新しいですね
「はやい・やすい・うまい」三拍子そろった吉野家の牛丼
その起源が中央区と言うのは少し嬉しくなりますね
現在も吉野家のwebサイトには特設サイトがありまして(築地一号店物語特設サイト)
ここが吉野家にとって、特別な場所であったということが容易に想像できます
https://www.yoshinoya.com/special/100years/
また、現在も築地場外の波除神社には「奉納吉野家」という石碑がありまして
ここ築地が吉野家1号店があった場所である、ということを構成に伝えようとしております。
以下、記念碑に記されたものの引用となります。ブログ読者の方は是非現地に足を運んでいただけましたら幸いでございます
「ここ築地の地に、
牛丼の吉野家の創業店がありました。
吉野家の歴史は、かつて栄えていた日本橋の魚河岸で、
明治三二年に開業したのが始まりです。
屋号は、創業者・松田栄吉の出身地である
大阪・吉野町より名づけられたと伝えられています。
その後、関東大震災の影響により、
大正一五年、魚河岸とともにこの地に移転いたしました。
東京大空襲によって店舗は焼失しましたが、
終戦後、すぐに屋台の営業を再開。
そして昭和三四年、「築地一号店」を開店したのです。
当初、具材には季節の旬な食材と豆腐なども、
盛り込まれていましたが、
市場で働く人々が牛丼を注文するのは、
牛肉が食べたいからなのです。
二代目社長、松田瑞穂は、
そんな想いに応えてメニューを改良。
より多くの牛肉と、味わいを深めるための玉ねぎだけを使った
シンプルな牛丼を生み出しました。
この牛丼は市場で大いに愛され、
またたく間に各地へとひろがり
日本人のお腹を満たす国民食となっていったのです。
平成二八年、再び市場の移転にともない、
「築地一号店」も移転することになりました。
この地で永きにわたり多くの方々に、
ご愛顧いただいてまいりました
「はやい、うまい、やすい」
吉野家の牛丼は、
まさにこの土地で育まれた味なのです。」
日本マクドナルド
↑かつて一号店があった場所の現在
中央区のファンでなくてもご存じの方多いと思いますが
1971年、その後日本の食文化を大きく変えることになるマクドナルドの1号店が日本に上陸します
(以下、日本マクドナルドWebサイトより)https://www.mcdonalds.co.jp/campaign/thankyou50th/history/memories/
マクドナルドの日本一号店の場所は、銀座三越の1階でした
ちょうどその1年前には銀座通りで週末に歩行者天国が行われるようになっていたタイミングでした。
今でこそ「食べ歩き」というのは普通ですが、当時においてはかなり奇異な光景でした
マクドナルドの上陸以降は、若者がハンバーガーを歩行者天国で食べ歩く姿が当たり前になりました。
まさに日本の文化を大きく変えてしまったわけです
後述のタリーズコーヒーなどもそうなのですが、やはり一号店は銀座で!
という思惑ががどのチェーン店にもあるんです。日本で一番影響力のある場所、といえばやはり銀座なんです
無理してでも銀座に一号店を出す価値はある、それは50年以上前も同じでした。
当初マクドナルド本社からは、アメリカと同様な郊外型の店舗で展開するよう指示があったとようですが
創業者の藤田田氏が「銀座が流行の情報発信基地だ、銀座で話題になれば商売も必ず成功する」と考えて銀座での出店に踏み切ったと言われております
狙いは大当たり。
マクドナルドは銀座三越という一等地に大々的に出店することで話題をさらい、あっという間に日本のマーケットに入り込んでいったのです。
個人的には、数年前にpaypayがサービス開始当初に数億円の還元キャンペーンを売ったのと少し似ているかなと思ってます。最初に採算度外視で自社ブランドを強烈に日本人の脳裏に植え付けたわけです。
銀座という土地が持つブランド力が当時から強大であったことを物語るエピソードでもあります
マクドナルドの1号店は1984年に銀座三越から撤退
その後、少し離れた晴海通りにお店を移しました(なので、正確には一度ここで閉店しています)
移転後の1号店は「マクドナルド晴海通り店」と呼ばれ、1階には「マクドナルドハンバーガー発祥の地」と記されたプレートが掲示されており、ここが1号店である、ということは広く知られておりました。
その晴海通りの1号店も2007年に閉店となり、現在は銀座三越新館になっております。
1号店があったことを示すものは現在は何もなく、1号店の記憶は人々の頭からは薄れつつあると思われます。
若い人は知らない人も多いかも知れません。
中央区教育委員会で説明板を立てても良いのでは?と思ってます
筆者もこの晴海通り店については、若い頃お世話になったことがあり
行っておいて良かったなぁ と今だからこそ思っております
↓かつて マクドナルド晴海通り店があった場所(現在は三越新館)