龍馬が歩いた中央区
以前、小江戸板橋さんのブログに坂本龍馬が登場していて、桶町の千葉定吉道場のことが書かれていました。私もいつか龍馬の歩いた道を辿りたいと思っていました。と言うのは、今の中央区役所の所に土佐藩の中屋敷があり、ここの長屋に龍馬は住んでいて、中央区内をよく歩いていたからです。嘉永6年(1853年)と安政3年(1856年)の2度、江戸へ剣術修行に来た時のことでした。
まずは中央区役所を出発して、4,5分で桃井道場のあったあさり河岸跡へ。幕末期、龍馬と同郷の武市半平太は江戸三大道場の一つ、鏡新明智流のこの道場に通っていました。ここからすぐの京橋公園、京橋プラザには私たち特派員の本拠地、中央区観光協会があります。北辰一刀流の千葉定吉道場へ通っていた龍馬はこの辺りを行き来していたんですね。
千葉定吉道場は日本橋堀留町の椙森神社から道一本隔てた通りにありました。嘉永6年3月に初めて江戸へ下った龍馬はこの滞留中に入門したと思われます。近くの椙森神社で剣の上達を祈っていたかもしれませんね。千葉道場は何回か移転しており、龍馬が2回目に出府した時は桶町に移っていました。表示板があるのは中央区と千代田区の境、国際フォーラムの手前です。
ここから龍馬も何度も渡ったであろう京橋を渡り銀座方面へ向かいます。歌舞伎座を過ぎて銀座6丁目の電源開発ビルの近くに佐久間象山の塾がありました。幕末有数の兵学者だった松代藩士の象山は、藩の学問所頭取を勤め、さらに洋学の礎を積んで、木挽町でたくさんの弟子たちを教えていました。門人には吉田松陰はじめ、勝海舟、河井継之助、山本覚馬、など、著名人も含め253名、嘉永6年12月から半年間、龍馬もここに通っていました。剣術と砲術を通して江戸で得た知識と技量は、ここ中央区で培われたと思うと感無量です。この日、歩数計を見ると18,000歩になっていました。
参考文献 江戸・幕末を切絵図で歩く
伊東成郎 著 PHP研究所