滅紫

江戸のパワースポット 頭痛平癒に「高尾稲荷の社」

江戸時代のパワースポットガイドともいうべき「江戸神仏 願懸重宝記」(文化11年1814刊)は江戸市中の様々なご利益のある神仏が紹介されていて、その最初にあるのがこの「高尾稲荷の社」。以下、「永代橋西詰 頭痛 祠より櫛を一枚借りて朝夕「高尾大明神」と祈り、成就後2枚(借りた1枚と新品の櫛)にして返す」。何に効くか、願懸けの方法まで丁寧に書かれています。高尾稲荷が頭痛に効くと言われるようになったのはその由緒によります。

神社にある由緒書きによれば「仙台藩主伊達綱宗の意に従わず船中で吊るし斬りにされたと言われている高尾太夫の流れ着いた遺体を引き揚げ当地に社を建て神霊高尾大明神を祀り高尾稲荷とした。実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として安置している稲荷は全国でも珍しい」

伊達綱宗といえば仙台藩3代目藩主で、遊蕩が過ぎ隠居させられた伊達騒動をモデルにした「伽羅先代萩」で知られていますが、現在ではその有名な「高尾の船中での吊るし斬り」の場面は上演されませんが、初演の安永6年

(1777)以降江戸時代には一般にもよく知られていた話なのでしょう。現在では猿之助さんの早替わりが有名な「伊達の十役」の「三浦屋奥座敷の場」で見られます。

高尾太夫は新吉原三浦屋の遊女の最高位の「太夫」名で江戸時代を通して7代―11代いたといわれています。この祀られている大夫は2代目で没年から「万治高尾」「仙台高尾」と呼ばれ、落語の「紺屋高尾」で知られているのは6代目です。

遊女の等級は江戸時代の中でも変化していますが、「太夫」が一番多かったのは寛政12年で14人、文化10年で3人、その後はなし。その下の等級は格子、呼び出し、散茶、昼三、と続きます。(「吉原と島原」小野武雄)

この2代目高尾は巷説では鳥取藩士の恋人がいたため、伊達綱宗の身請けに乗り気でなく、断るために「衣裳も含んだ自身の体重と釣り合う金子」を条件にしたところ、流石、大藩伊達家3,000両を支払ったといいます。

高尾の墓は新吉原から移された西巣鴨の西方寺と新吉原の春慶院にあります。頭痛だけではなく頭髪や頭瘡にも効果があるそうです。櫛は今回見当たらなかったので次回又探してみたいと思います。

 江戸のパワースポット 頭痛平癒に「高尾稲荷の社」

高尾稲荷神社  日本橋箱崎町10-7