写楽さい

■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~

 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~

 大正12年(1923)9月1日発災の関東大震災から96年。未曽有の大地震と大火災で壊滅的被害に見舞われた。

 この痕跡は「自動車のボディが焼失し、シャシーだけが残ったもの。この自動車は車両番号第一号という古い歴史を持ち、銀座の明治屋商店で震災直前まで使用されていたという」と掲示がある。

 都立横網町公園復興記念館(墨田区)の屋外ギャラリーに展示されているもので、当時の惨状を生々しく物語っている。

【新大橋】「震災避難記念碑」

【新大橋】「震災避難記念碑」 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~
 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~

 新大橋は明治45年(1912)、木造橋から鋼製トラス橋へ架け替えられた。大正12年の大震災のときは隅田川の多くの橋が焼け落ちる中、大きな損壊もなく、橋上に避難した大勢の人々の命を救った。

 新大橋の中央区側橋詰には、昭和8年(1933)建立の「震災避難記念碑」(上写真右)と「中央区説明板」(同中央)「人助けの橋のいわれ碑」(同左)が歴史を今に伝えている。現橋は昭和52年(1977)に架け替えられた。

 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~

【数寄屋橋公園】「銅像彫刻『燈臺』北村西望作」

【数寄屋橋公園】「銅像彫刻『燈臺』北村西望作」 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~
 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~

 大正12年の大震災から10周年の昭和8年(1933)9月1日、震災記念塔として設置された。石造の台座は「不意の地震に不断の用意」の標語が刻まれている。

 この彫刻作品は北村西望が47歳のとき制作で、昭和6年の帝国美術院展に「燈臺」と題して出品した。数寄屋橋交番近くに設置されている。

【茅場町 新亀島橋】「大震火災遭難者追悼碑」

【茅場町 新亀島橋】「大震火災遭難者追悼碑」 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~
 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~

 上の写真左側は戦災碑で、右側の背の高いのが震災追悼碑。石碑の裏には大震災1年後の「大正13年」の文字が見える。はっきりとは読めないが地元住民の建立のようだ。亀島川に架かる新亀島橋西詰南側にある。

【千代田公園】「昭和天皇臨幸記念碑」

【千代田公園】「昭和天皇臨幸記念碑」 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~
 ■中央区歴史逍遥<8> 関東大震災96年 ~防災への誓い~

 大震災復興には6年半余りの歳月を要した。昭和5年(1930)3月24日、昭和天皇は復興した帝都東京を視察のため千代田尋常小学校(現‣日本橋中学校)を訪れた。

 右写真は天皇巡幸時の千代田小学校(京橋図書館蔵) 

 この日、天皇陛下は3階の御座所で休憩して、復興功労者などと会われ、1時間25分間滞在する。これを記念して昭和8年(1933)3月に記念碑を建てた。現在地は東日本橋1-10 千代田公園内。(@AM)