隅田の花火

京橋物語6~曲がり角の先の街

京橋物語のエピローグ。今回が最後となりました。

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上の写真は、戦後昭和37(1962)年頃の、銀座から見た京橋の街並みです(写真提供:中央区立京橋図書館)。

京橋通りに立つ建物は、前回の最後の戦前絵葉書からほとんど変わっていません。南伝馬町だった頃の大正時代の面影は、太平洋戦争を乗り越えて、昭和30年代も続いていたことがわかります。

しかし、東京オリンピックを前にして昭和38年に京橋川の埋め立てが始まり、京橋が無くなり、そのあと京橋の街の建物も一つ一つ姿を変えていきました。

今からちょうど50年前の昭和44(1969)年5月、京橋で最も名が知られていた建物「第一相互館」の解体式が行われています。今までずっと、この京橋のランドマークを眺め続けてきた都民から、「せめて屋上にそびえる、あの赤レンガのドーム屋根だけでも残せないものか」という投書もあったようで、惜しまれながらの解体でした。しかし、関東大震災と太平洋戦争を乗り越えたこの頑丈な建物は、解体するだけでも難工事だったそうです。

 京橋物語6~曲がり角の先の街

一方、川に架かる橋のほうですが、橋が無くなった現在も京橋跡に残されているものがあります。親柱です。親柱は3基残されていて、そのうち2つは明治8年の石橋のものと伝わる、擬宝珠の意匠の親柱、もう1つはロケットのようにも見える大正時代架橋の親柱です。

わりと人気のあるほうは、江戸時代の香りが残る明治時代の親柱で、大正時代の親柱は、その時代に馴染みが薄いせいなのか、デザインが異様に感じられてしまう方もいらっしゃると思います。 

この親柱はいつも、南伝馬町の街と一緒でした。大正時代に南伝馬町と一体感を持って街並みを作り、震災を乗り越え、銀座の復興を見守り、太平洋戦争も一緒に乗り越えました。しかし今はその仲間がいなくなってしまい、ある意味ひとりぼっちでかわいそうな感じもします。

そんな大正時代の親柱ですが、このデザインはそもそも何をモチーフとしているのでしょうか?

 京橋物語6~曲がり角の先の街

現在の京橋跡橋詰の「京橋大根河岸おもてなしの庭」には、大根河岸の記念碑や江戸歌舞伎発祥の碑があるのはご存知の方も多いと思います。しかしこの場所に、大正時代架橋の京橋の「袖柱」が残されていることは、あまり知られていないようです。

現在、公園の車止めとして、重要な役割が与えられているこの袖柱。最近の公園の改修で、位置が少し移動したようですが、これを見て昔の袖柱だと想像するのは難しいかもしれません。

しかし、このデザインは立派です。よく見てみましょう。真ん中に大きい半球がモコッとしており、まわりに小さいのが4つ、モコモコモコモコッとしています。これ、何かに似ていませんか?。これまで、この長い物語にお付き合いして頂いた方であれば、想像してしまうものがあると思います。

 京橋物語6~曲がり角の先の街

昭和初期・写真提供:中央区立京橋図書館

私には、南伝馬町のビルの「3つのドーム屋根」にしか見えてきません。

としたら、親柱の方も単純に、南伝馬町のビルの屋根をモチーフにしているだけではないのでしょうか。袖柱のイメージをグィ~~ンと上に引き伸ばしただけではないかと。かつての大同生命ビルのドーム屋根がトンガリ屋根になったかのように。

まあ、想像するのは自由で楽しいもの。歴史というものは謎があって、正体を知らない方が想像する余地があって面白いものです。せっかくなので、もう少し想像してみることにします。

大正時代の親柱にはまだ仲間が残されています。

 京橋物語6~曲がり角の先の街

京橋跡の橋詰にある、銀座一丁目交番です。銀座のハシから、銀座の街をいつも見守っています。

この交番建築は80年代に建てられたそうですが、屋根のデザインは、間違いなく、大正時代のトンガリ屋根の京橋の親柱です。

しかし、それだけでしょうか。

ひさしや窓のデザインを見ると、明治の銀座の煉瓦街ではなく、大正から昭和初期にかけて、銀座の復興を見守ってきた「曲がり角の先」の街並みが見えてきました。豊国銀行、大同生命ビル、第一相互館、星製薬、三十四銀行、千代田館・・・。そしてトンガリ屋根の京橋。

かつての橋と南伝馬町の街並みが1つの建物になり、今は交番として銀座の街を見守っている。そう思うと、この交番のデザインは、とても素晴らしく思えてしまうのです。

 京橋物語6~曲がり角の先の街

銀座通りを歩くと「曲がり角の先」に見える街、それが京橋です。明治や大正の頃を図書館で調べようとした時、日本橋や銀座の本はたくさんあるのですが、その中間にある京橋の街の本はほとんど無く、調べ方も分からず、街のイメージや時代背景を掴むこともできませんでした。そう思っていた時、あるものを見つけました。絵葉書の写真です。絵葉書は、過去の街並みをイメージできる一級史料であり、しかも京橋の街は日本橋や銀座に負けない位の絵葉書が残されているのです。その京橋の絵葉書を集め、時代順に並べ、文章で紡ぎ合わせてみました。

この物語で、明治・大正・昭和初期の街並みをイメージしていただきながら、今の「曲がり角の先」の街を歩いて頂ければ幸いです。きっとその先に、素晴らしい何かが待っていることと思います。

おわり。

<ご参考>

 現在の京橋の街並みの記事 →こちら

 この記事の旧ブログバージョン →こちら

 

<京橋物語・参考資料>

『日本近代建築の父アントニン・レーモンドを知っていますか』同プロジェクト委員会・㈱教文館/2016

『松坂屋・銀座とともに八十年』㈱松坂屋/2004

『松坂屋百年史』㈱松坂屋/2010

『松屋百年史』㈱松屋/1969

『震災復興<大銀座>の街並みから(清水組写真資料)』銀座文化史学会/1995

『明治・東京時計塔記改訂増補版』平野光雄・明啓社/1968

『第一相互館物語』第一生命保険相互会社/1971

『人民は弱し官吏は強し』星新一・新潮社/1967

『中央区沿革図集京橋篇』中央区立京橋図書館/1996

『銀座通聯合会六十年史料』銀座通聯合会/1980

『中央区の橋梁・橋詰広場~中央区近代橋梁調査~』中央区教育委員会社会教育課文化財係/1998

『東京再発見~土木遺産は語る』伊東孝・岩波新書/1993

『彩色絵はがき・古地図から眺める東京今昔散歩』原島広至・㈱中経出版/2008

『歩いてわかる中央区ものしり百科』中央区観光協会/2018

『京橋図書館画像データ』HP内記載の資料詳細欄

『戦前絵葉書』自己所有(特派員の活動費を使い収集)

*建物の名前や社名は時代により変遷しているものがありますが、物語の都合上、統一して記載しました。

*文章と絵葉書の年代を極力合わせるよう努めましたが、物語の都合上、合っていないものがあります。