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『佃島の盆踊』で外国人に通訳体験

佃島で、東京都の無形民俗文化財に指定されている盆踊りが8月13日~15日の旧盆の期間に開催されました。主催者より、来場する外国人への盆踊りの紹介を兼ねた通訳を依頼されましたので、8月13日に参加しました。最近外国人にも知名度が上がってとのことで、2時間半の盆踊り開催時間に参加した外国人数は20人程でした。一人で参加する人もいましたが、殆ど3~4人でのグループ参加でした。私は個人を含めて4グループの通訳を行いました。(写真撮影は許されませんでしたので、本ブログに添付する写真は観光協会の職員の方々が撮影したものです)

 

盆踊りの舞台

盆踊りの舞台 『佃島の盆踊』で外国人に通訳体験

盆踊りの櫓は佃小橋寄りの佃1丁目に設置されていました。暗くなりつつある18:30に、子供向けの盆踊りが始まり30分間で終了しました。終了後子供達に「お菓子券」が配られました。(当日の引き換えはできず、16日以降ということでした。子ども対象とはいえ、旅行者など佃島に住んでいない人にとっては再訪は難しいでしょうから、当日菓子への引き換え可能とするとさらによいのではないかと個人的には思いました。)

休憩を挟んで19:30から大人を対象とした踊りが始まり、21:00に終了しました。

動きの少ない踊りですが、夕方とはいえ高温・多湿の陽気が最後まで継続したので汗だくでした。

佃島に住むフランス人の親子連れに・・・・・・

佃島に住むフランス人の親子連れに・・・・・・ 『佃島の盆踊』で外国人に通訳体験

佃島のマンションに住むフランス人親子と接触。北斎の富獄三十六景「佃島」を見たこともあり佃島の由来も承知している技術者で、佃島の盆踊りの由来を説明した所メモを取っていました。興味を示したところは以下の通りです:

1) 踊りは「ナンバ踊り」から派生したと言われている。

江戸時代以前から日本では手を前後には振らない「ナンバ歩き」が普及していた。ナンバ歩きの基本は左脚が先→右脚が後である。

2) 戦(いくさ)で脚を負傷した武士が踊ったぎこちない踊りが「この盆踊り」のベースとなったという説もあります。わかるような気がします。

安土桃山時代に来日したポルトガル人やオランダ人も日本国内ではナンバ歩きをしていたことを、古い絵で示すとびっくりします。

また、和服の着崩れは着付けの問題もありますが、ナンバ歩きをしない(できない)ために発生するという話をすると納得してもらえます。「和服は左前に合わせますから、左脚先→右足後を繰り返して歩かないと裾が乱れるのは当然でしょうという」話は興味を持ってもらえます。

スペイン人はスパニッシュダンスの乗りで踊る!

スペイン人はスパニッシュダンスの乗りで踊る! 『佃島の盆踊』で外国人に通訳体験

写真の男性はアメリカ人ですが、一般の盆踊りとは異なる「佃の盆踊り」に興味を持って来場したようです。写真はありませんが、アメリカ人の後通訳したスペイン女性2名には念仏踊りの基本を図解した絵で説明したら、早速踊ってくれました。

さすがスパニッシュダンスの国出身の方々ですね。

 

佃島の盆踊りの知名度が向上したとはいえ、まだまだ一般の海外旅行者が来場するのは難しいと感じました。ある程度佃島の特殊性・盆踊りの特異性を知っているような人を対象にネットで紹介しながら告知したほうが効果が出るのではないかと思いました。また、現時点では来場者は佃の踊りのことを知っていることを前提に通訳しても良いと感じました。

 

今回の活動は初めての試みということもあり、私なりに考えて対応し、佃島の由来・念仏踊りの由来・踊り方の基本などを絵にして説明をしましたが、今回お付き合いいただいた外国の方々に興味を持っていただいたように感じました。来年以降に参加する機会があれば同様のアプローチで対応しようと思っています。