探してみましょう!区内の落語の舞台
落語を聞くようになってまだ10年未満なので通の方には「○年早い」とお叱りを受けそうですが、流石に江戸の町人たちの中心地だっただけあって落語の舞台になっているところは多いですね。少し秋の気配も感じられるようになってきましたのでそんな「落語散歩」も如何でしょう。
まず「ろくろっ首」の舞台は本石町3丁目。現在の日本橋室町4丁目。石町の鐘撞堂の娘が夜中に首がのびると噂されて縁遠く、そこに少し頭の弱い松公が婿入りする話。
「百川」は日本橋浮世小路(福富稲荷のところ)にあった実在の高級料亭。田舎から出てきた百兵衛が訪ねる先が三光稲荷のある三光新道。百川が宣伝用に創らせたという話もあるそうです。
「天災」は人形町の元祢宜町。乱暴者の長屋の熊五郎を心学の先生、紅羅坊名丸先生に入門させると・・・
「船徳」は柳橋。若旦那の徳三郎が船頭修行をして・・・
「水屋の富」は椙森神社。富くじを買いに行くのは演者によっては「湯島天神」になることもあります。
800両当たった水屋は泥棒を恐れて隠し場所をいろいろ移し、商売にもでかけられなくなります。・・・
「心眼」は茅場町薬師。鍼灸師の盲人梅喜が21日の願懸けが終わると・・・
茅場町薬師の傍の坂本町1丁目と2丁目の間にあった植木店には宝井其角が住んでいました。落語の「徂徠豆腐」の舞台は芝増上寺の近くですが、荻生徂徠は柳沢吉保の失脚後、ここに越して「蘐園塾」を開きます。
「梅か香や 隣は荻生惣右衛門」という句は其角が作ったと云われていますが、「蘐園塾」が出来る前に其角は亡くなっていますので?かも。日本橋区史によると近くに歌舞伎にもなっている「文七元結」の文七も住んでいたとありました。「薬師堂の西南其角が宅址に隣りて文七元結なるものの舊宅址あり。其角に「文七に踏まるな庭の蝸牛」」
佃にも「佃島」「佃祭」があります。「落語の舞台散歩」も如何でしょう。