日本橋三越の雑学ネタ
日本を代表する百貨店「日本橋三越」の雑学についてご紹介させていただきます。
まず「三越」の名前の由来ですが、江戸時代初期に三井高利(みついたかとし)氏が「越後屋」という呉服店を江戸日本橋本町1丁目にオープンしました。
明治時代になってから名字が「三井」であることから「三井呉服店」に改名し、1904年に「三井」の「三」と「越後屋」の「越」をとって「三越呉服店」となり、現在の「三越」になりました。
日本橋三越の新館正面の壁面のエンブレムは「イルカ」です。新館ができた時に、すぐ前がかつての魚河岸だったこと、そしてお客様の水先案内人になるようにという想いを込めて、イルカのモチーフになったそうです。
ライオン像
三越の入り口にライオン像が置いてありますが、大正3年に日本初の百貨店として新店舗となった時に、当時の支配人だった日比翁助(ひびおうすけ)氏のアイデアで、三越を商売の王者にしようと二頭のライオン像が設置したのが始まりだそうです。ロンドンのトラファルガー広場にあるライオン像がモデルだそうです。日比翁助氏は大のライオン好きで、自分の息子に「雷音」と名前を付けたくらいです。
江戸時代、三越の前身の「越後屋」は傘に屋号を入れてお客さんに貸し出しをしたそうです。越後屋のマークが入っているため、傘を借りたお客さんが宣伝をしてくれて、店はますます賑わったとのことです。現在でも日本橋三越店では雨の日に「MITSUKOSHI」の文字が入っている傘を無料で貸し出しています。
日本橋三越の屋上にプチ「ディズニーランド」があったことをご存知でしょうか。
本家カリフォルニアの開園から2年後の1957年4月30日から7月7日まで「こどもの夢の国 楽しいディズニーランド」というイベントが開催されていたとのことです。とりわけ「メリーカップ」と呼ばれたカップ型の遊具が人気だったようです。
その他、日本初のエスカレーターを導入したり、日本初のファッションショーを開催したり、日本初のお子様ランチを提供するなどまさに時代を先取りしてきたデパートだと言えましょう。