生きていたとは、お釈迦様でも!
「日本橋人形町」のイメージを、一時的に決めたものがある。
「お富さん」
春日八郎さんの突き抜けるような明るい声で歌われた、ポップテンポの歌謡曲である。
私の場合不幸なことに、元歌より先に、近所のオッチャンの強烈な節回しを聞いてしまった。
酒が入り気持ちよくなると、
「♫イギなグロベー、ミッッコシのマァツに~」と調子ッ外れの大声で歌った。
「スンダはずだよ、お富シャン」。このフレーズに来ると、ここぞとばかり節に力を込めて、無意味なリフレインが入った。
なんとも不思議な歌だなあと思ったものである。
九郎兵衛さんが神輿を祀って、洗い髪で現れた死んだはずのお富さんと対面する。
お富さんは仏様で・・、こりや怪談話か因縁話か。
オッチャンの独特な節回しだけが、頭にこびり付いてしまった。
歌の印象が一変したのは、「ミッッコシのマァツ」に、本当の歌詞「見越しの松」が隠れていたと分かった時だった。
塀を越えて外を見下ろすような形の松の木。
粋な黒板塀からのぞいている、ほら、観光地などでよく見る、少し妖しくもしっとりとした景色である。
ようやくオッチャンの節回しから解放されたぁ。
お富さんの元になっている歌舞伎が「与話情浮名横節」。
おなじみの場面、鎌倉の源氏店(げんじだな)のモデルが、人形町の玄冶店(げんやだな)。
岡本玄冶(おかもとげんや)は、江戸時代前期に活躍した医師である。
徳川秀忠・家光に仕え、家光の病を治した功績で人形町に屋敷を拝領する。
この屋敷の一部を貸家とし、玄冶店と呼ばれるようになるのである。
※ 読売ISビルに掲げられている、「切られ与三」の幟旗。
世間知らずの若旦那与三郎は、木更津の親分の情婦お富に一目惚れをしてしまう。
その情事がばれて、めった斬りにされ、身体中三十四箇所に刀傷を受ける。
一命を取り留めたものの、その傷を売り物に強請たかりの悪事に走る。
金をせびりに押し入った源氏店の妾宅で、入水し死んだはずと思っていたお富に再会する。
そこで語られる名科白。
しがねぇ恋の情けが仇 命の綱の切れたのを
どう取り留めてか 木更津から
めぐる月日も三年(みとせ)越し ・・・
長ぜりふの中に、与三郎という男の抑えきれない心情を、ふつふつと込めていく場面である。
玄冶店は、いわくのある人がひっそりと暮らすに好都合な高級住宅地。
その面影を偲ばせる風景を探してみた。
「濱田家」さんは、玄冶店の名を残す、大正元年創業の老舗料亭。
純和風の会席・懐石料理店だ。
家族の特別な記念日などに、思い出を深く残してくれる場所である。
大観音寺脇に100m足らずの「芸者新道」と呼ばれる路地がある。
女優の花柳小菊が住んでいたことから、「小菊通り」という粋な呼び方もある。
黒塀に植栽。
赤壁が大旦那衆御用達を思わせる、会席料理の「きく家」さん。
少し緊張しながら入った路地に、素敵なたたずまいの建物を見つけると、嬉しくなるものだ。