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長崎屋番外編(2)

江戸時代のオランダ商館長一行が滞在した「長崎屋」に関して何回か本ブログで紹介していますが、新たに本年2月オランダで桂川甫賢筆『長崎屋宴会図』(文政5年、1822年)という絵が発見され、神田外語大学が購入しました。11月1日~14日の期間に一般公開されましたので、訪問し且つ11月14日に『長崎屋宴会図を読む』というタイトルの講演会(講師: 京都大学名誉教授 松田清先生)が開催されたので参加しました。面白い話が聞けましたので、簡単に報告します。

 

既知の『長崎屋二階図(フェイルケ筆)』

既知の『長崎屋二階図(フェイルケ筆)』 長崎屋番外編(2)

長崎屋二階を描いた絵として従来本図が良く知られていますが、これは商館付き外科医ヤン・フレデリック・フェイルケ(1770~1814)が1810年に描いたものです。これは長崎の収集家「永見徳太郎」が昭和15年(1940年)日本橋白木屋で開催された和蘭文化展覧会に「江戸長崎屋二階の図」として出品しました。残念ながらこの絵はどこに行ったのか不明です。

フェイルケの絵と比較しながら、今回新たに紹介された桂川甫賢が1822年に描いた二階広間図を考察してみましょう:

1) オランダ語署名文によるとこの宴会は文政5年2月27日(西暦1822年4月18日)に開催されました。商館長ブロムホルツは2月5日(3月27日)に江戸に到着し、2月15日(4月6日)に将軍に拝謁しました。その後に、一行は長崎屋で蘭学者の桂川甫賢・大槻玄沢・宇田川玄真・高橋作左衛門らと交流しました。

2) 向かって左側に障子2枚、正面には床の間、右には唐紙が壁紙として床面から天井まで貼られています。甫賢図の壁紙の模様とフェイルケ図の襖の唐紙とは、雲を散らした同じ模様となっています。長崎屋の債権をした江原源右衛門の趣味かもしれませんね。しかし部屋の構造は両者は異なっています。

3) 商館長の1821年3月21日の日記に「江戸に大火あり、われわれの宿舎もふたたび被災した」という江戸情報を記載されています。この火災の後に長崎屋は建て替えられたため二階の構図が違っているのでしょう。

十人の宴会参加者

十人の宴会参加者 長崎屋番外編(2)

畳に直接座っている日本人が主催者である当時47歳の江原源右衛門。和装のブロムホルツとフィッセルがホスト役、椅子に座る洋装の馬場、甫賢、神谷は招待客。主客転倒した仮装宴会は長崎奉行所検使と長崎屋源右衛門が相談して、商館長一行に江戸の豪華な暮らしと礼儀作法を教えようと費用を惜しまずに工夫したと考えられます。芝居好きだったフィッセルはご機嫌だったようです。

フィッセルは袴から両足の白足袋をのぞかせ、左脇には黒の塗笠、右脇には手付き煙草盆。商館長のブロムホルツは右手に煙管を持ち、左ひざの上に赤茶色の懐中煙草入れを置き、左脇には手付きの煙草盆が見えます。

甫賢は三角帽をかぶり、刺繍飾りのあるヴェストの上に赤いロックコートを着ています。馬場佐十郎と神谷源内の様相は基本的には甫賢と同じですが、帽子は甫賢の時代遅れな三角帽でなく流行の山高帽をかぶっています。

芝居好きのフィッセルはこの仮装宴会について、「洋装のチグハグには苦笑した」と述べています。日本人が着用したオランダの服は、昔から時間をかけて収集したものであり、それらを組み合わせて着用すると極めて奇妙であったためです。

参考文献:

フィッセル『日本風俗備考』平凡社、東洋文庫、242ページ

神田佐野文庫企画展 展示目録: 長崎屋の二階-シーボルト以前の蘭学開花-