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鏑木清方_幻の《築地明石町》特別公開 at 東京国立近代美術館(~2019.12.15日まで開催)

近代日本画史に輝く鏑木清方(1878-1972)の名作《築地明石町》(1927年作)が2019年東京国立近代美術館で収蔵されました。それを記念して三部作《新富町》《浜町河岸》(1930年作)と共に、東京国立近代美術館(~2019.12.15日まで開催)で公開されていますので、見学しました。

幻の名作と言われてきた《築地明石町》は44年ぶりの公開です。同時に《三遊亭圓朝像》や《明治風俗十二ケ月》など所蔵する清方作品の名作も展示されています。

鏑木清方は東京神田の生まれ、浮世絵系の水野年方(1866-1908)に入門し、挿絵画家として画業をスタート。美人画家 上村松園(1875-1949)と共に並び称されました。

当初は浮世絵をもとにした近世風俗を主たるテーマとしていましたが、関東大震災後失われる明治の情景を制作のテーマに加えます。そうして生まれたのが、《築地明石町》《三遊亭圓朝像》《明治風俗十二ケ月》などの名作です。その後は展覧向きの絵とは別の、「卓上芸術」と名付けた画帳・絵巻などの制作に打ち込みましたが。

代表作《築地明石町》

代表作《築地明石町》 鏑木清方_幻の《築地明石町》特別公開 at 東京国立近代美術館(~2019.12.15日まで開催)

清方は画業の後半をスタートするのにあたり”失われる明治の情景”の制作を始めましたが、その中心を明治20年~30年の人々の生活としました。《築地明石町》はそのスタートラインに位置する作品であり、清方会心の作となりました。

絵の中の洋館の垣根には水色のペンキが塗られ、朝顔が名残の花を咲かせています。辺りは朝霧が白く霞み、佃の入り江に停泊した帆船のマストを背景に、髪はイギリス巻、単衣の小紋の着物に黒い羽織姿の女性が、朝冷えに袖を掻き合わせてふと振り返る様子が描かれています。

モデルになったのは清方夫人の女学生時代の友人であった「江木ませ子」でした。農商務省官僚「江木定男」の妻で、

「遠く回想する明石町の立ち込めた朝霧のなかにふとこの悌(てい 年少者(=ここでは清方自身)が年長者に素直でよく仕えること)が浮かぶとともに知人江木万世子(ませこ)さんの睫(まつげ)の濃い瞳が見えて、そうしてそこにその姿を成した」

と記しています。また「夜会結び、またはイギリス巻といった髪かたちは明治をよく表す髪かたちだ」とも『鏑木清方文集』に評しています。肖像画ではないものの、作品の成立にモデルの存在は強く結びついています。

 

築地本願寺に入ってすぐ右に「九条武子」の説明版があります。ご存知のように大正三美人の一人と言われていますが、他の2人はテレビドラマ「花子とアン」でも取り上げられた柳原白蓮と江木欣々です。後者の江木欣々こそ、《築地明石町》のモデルとなった江木ませ子です。

鏑木清方作《新富町》

鏑木清方作《新富町》 鏑木清方_幻の《築地明石町》特別公開 at 東京国立近代美術館(~2019.12.15日まで開催)

新富芸者が描かれています。芸者の袖口から見える襦袢は紅葉と菊の模様ですから、雨は秋雨でしょう。黒衿の古風な普段着姿で、髪はつぶし嶋田、蛇の目をさし、高くて歯の細い下駄で急ぐ様子が描かれています。

後ろには新富座が写っていますが、絵看板の演目は「仮名手本忠臣蔵」のようです。

鏑木清方作《浜町河岸》

鏑木清方作《浜町河岸》 鏑木清方_幻の《築地明石町》特別公開 at 東京国立近代美術館(~2019.12.15日まで開催)

絵の右側にかかる新大橋は1912年(明治45年)まで絵のように木橋でした。橋の対岸は深川安宅町。歌川広重の《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》にも描かれた火の見櫓はこの絵にも描かれています。バラの簪を髪にさした娘は舞い扇を手にしていますから、浜町の藤間流の師匠からのけいこ帰りの姿でしょう。