にゃんボク

二人の近代建築家の接点とは

先日、東京ステーションギャラリーにて「辰野金吾と美術のはなし  没後100年特別小企画展」を見てまいりました。(会期:2019年11月2日(土)-11月24日(日)のため現在は終了)
*写真はステーションギャラリーから見た東京駅丸の内側


辰野金吾氏と言えば明治・大正期に日本銀行や東京駅などを設計し日本近代建築の礎を気付いたと言われた人物。
とはいえ、私が向かったのは金曜日の夜、かつ比較的マニアックなテーマだから空いているかなぁと思いつつ会場に入ると、なんのなんの、結構な混雑で少々驚きました。

貨幣博物館においても

貨幣博物館においても 二人の近代建築家の接点とは

また貨幣博物館においても「辰野金吾と日本銀行 日本近代建築のパイオニア」の特別展が開催されており、こちらも見てまいりました(会期:2019年9月21日(土)-12月8日(日))

両方の展示を見て、個人的に意外な発見!と思ったことをご紹介いたします。

辰野金吾氏はどのような人物だったのでしょうか。負けず嫌いで頑固だったのもその一つと言われています。
佐賀県の貧しい下級役人の家に生まれるも、勉学に励み工部大学校に入学し、イギリスなど海外にも留学して建築を学んでいます。若くして帝国大学工科大学の学長に就任し、順風満帆だったのが、突然辞職。
当時、この帝国大学工科大学学長との職はかなり高い地位であり、辞めるというのは普通では考えられないことだったとのこと。

その辞職理由は・・・口論であったとか。その口論の相手は「妻木頼黄(つまきよりなか)」

妻木頼黄氏と言えば

妻木頼黄氏と言えば 二人の近代建築家の接点とは

そう、妻木頼黄氏は明治44年に完成した現在の日本橋の装飾を担当した建築家。麒麟と獅子のブロンズ彫刻は明治期を代表する野外彫刻としても高く評価されています。妻木氏と言えば横浜赤レンガ倉庫の設計者でもあります。辰野氏は東京駅。
さながら東京駅VS赤レンガ倉庫の赤レンガ対決と見ることもできますね。

辰野氏は「国立銀行(日本銀行)と中央駅(東京駅)と議員(国会議事堂)の3つを作り上げることが建築家の本懐」と野望を語っていましたが、政府が「国威の発揚」を目指して、明治国家をシンポライズする国会議事堂をいかなる建築様式で誰が設計するかとの点においても、辰野氏と妻木氏は争うことになります。

 

建築史家の村松貞次郎氏は、この背景を二人の出生地と出身の差とみています。妻木頼黄氏は江戸の旗本の家柄、片や辰野金吾氏は九州唐津藩の下級武士の出身である。この出身の差は「明治国家」という新しい政治体制と倒幕された身との目に見えない対立だという。

両名とも工部大学校にて建築教育の中心を外国人のジョサイア・コンドルから学び、素晴らしい功績をあげています。
果たして対立だったのか、ライバルだったのか、私は知る由もありませんが、近代を代表する建築家の濃密な関りを知りました。建築物を見る際のまた新たな着眼点となりました。