『新参者』と人形町 10年を考察 ②
~ からくり櫓 (江戸落語) ~
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『ギフト、そして自分も楽しむ』をシャイニーに取材します、rosemary sea です。
東野圭吾さんの新参者シリーズと人形町の10年を改めて掘り下げる企画、前回は23日の「弁慶像」でした。
今回は「からくり櫓(江戸落語)」、その前篇です。
「からくり櫓(やぐら)」、人形町通りを挟んで建つシンボル時計台2基、2009年(平成21年)11月完成。
ということは、小説「新参者」が刊行されたのが2009年9月、更にその第1章『煎餅屋の娘』が小説現代に掲載されたのが2004年の8月号ですから、当然小説「新参者」にはこのからくり櫓は登場しません。
まだ建っていないからです。
当たり前のお話ですが、第9章(最終章)『日本橋の刑事』が小説現代に載ったのも、2009年の7月号です。
ただ、TVドラマ「新参者」は放送が2010年4月~6月ですから何とか間に合い、人形町通りのシンボルとして映り込んでいます。
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_3_1.jpg?20200427080751)
こちらはからくり櫓2基のうちの「町火消し」の1基です。
今回ご紹介しない方の櫓、どちらもシンボル時計台ですが、こちらは「は組」の木遣りが流れる方です。
こちらの櫓、水天宮から堀留町・小伝馬町へ向かう一方通行道路・人形町通りの奥側左にあります。
人形町駅A2出口と大観音寺の間に位置します。
「新参者シリーズ」の映画「祈りの幕が下りる時」では、大観音寺前からの人形町通りが何度か映り、この町火消しのからくり櫓も映っています。
因みに、この人形町通り、東京で最初にアーケード商店街ができたところとのこと。
1951年、昭和26年のことでした。
もちろん今はそのアーケードは撤去され、痕跡も全くありませんが。
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_4_1.jpg?20200427080751)
こちらが今回ご紹介する方の櫓、「江戸落語」です。
水天宮側からのアングルです。
水天宮から延びる人形町通りの、堀留町・小伝馬町に向かったすぐ左側にあります。
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_5_1.jpg?20200427080751)
からくり櫓 江戸落語
下段の緞帳(どんちょう)が開くと噺家(はなしか)の人形が登場。
落語家 立川談幸(たてかわ だんこう)氏による創作小咄(こばなし)「人形町の由来」が流れます。
上段の絵が回転すると、江戸の町並と町人たちの暮らしが再現されます。
起動時間 午前11時から午後7時までの正時 約2分
平成21年11月完成
・・・と、書かれています。
つまり、11時から19時までのちょうどの時刻に、1日9回動く、ということです。
そして古典落語の持ちネタ豊富な立川談幸師匠の小咄「人形町の由来」が2分間流れるのです。
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_6_1.jpg?20200427080751)
こちらは堀留町・小伝馬町側からのアングルです。
今回は、この櫓の「江戸落語 人形町の由来」に着目してご紹介します。
立川談幸師匠の小咄、完コピしましたのでご覧ください。
それでは・・・
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_1_1.jpg?20200427080751)
(出囃子 約8秒)
えーようこそ、人形町にお出かけくださいまして、誠にありがとうございます。
え、人形町の由来について申し上げます。
どうぞしばらくお付き合いのほど、お願いをいたします。
「八っつぁん、どーだい?この人形町の賑わいは?」
「そーですね、ご隠居さん、大したもんですね。」
「“ 日に三箱(ひにみはこ) 散る山吹は江戸の華 ”、と言ってね、江戸時代は一日の商いが千両もあったという大変に盛った場所だぁ。
3か所もあったんだよ。」
「へえーぇ、それじゃ1か所で千両、3か所だから三千両だぁ。
そりゃー豪儀(ごうぎ)なもんですねぇ。」
「日本橋界隈も芝居小屋に、魚河岸に、花柳界(かりゅうかい)で、大層繁昌したもんだ。
『おーいわしこー、おーいわしこー』、ほら、威勢のいい魚屋も駆けていくだろ?」
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_2_1.jpg?20200427080751)
「ところでご隠居さん、この辺りをどーして『人形町』って呼ぶようになったんです?」
「あーあ、これはいいことを聞いたな。
それはその昔、人形操(あやつ)りの芝居小屋が何軒もあってね、その人形を作ったり直したりする職人が、この辺りに住んでいたんだねぇ。
ま、そんなところから『人形町』って名付けられたんだよ。」
「へーえなるほどね。」
「江戸時代より変わらぬ下町の賑わいと厚い人情、そして心意気が、ま、何とも人形町のいいところだぁ。」
「あーあそうですか、それでぁあっしはあしたも、人形町に来ることにします。」
「いやー八つっあん、あしたと言わず、毎日おいでっ!」
(受け囃子 約8秒)
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_8_1.jpg?20200427080751)
落語が流れる時以外は、このように幕がかかっています。
落語が流れる時には、正面も側面もこの幕が左右に開き、落語家の人形が現れます。
人形は座を正面と脇に変え、首も脇に向いたりします。
出囃子について・・・
平成21年当時、立川談幸師匠は、出囃子に「吾妻八景(あずまはっけい)」を使っていました。
長唄の「吾妻八景」、八景の最初の景色は日本橋です。
歌詞も「実に豊かなる 日の本の橋の 袂(たもと)の初霞 ・・・」。
日の本の橋・・・日本橋のことです。
まさに人形町のシンボル時計台に相応しい出囃子ですね。
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_7_1.jpg?20200427080751)
・・・次回、後編ではこちらの櫓の絵の動きにフォーカスしてご紹介します。
からくり櫓 江戸落語
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~ からくり櫓 (江戸落語) ~](/img_data/CBLOGIMG1330_9_1.jpg?20200427080751)
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