隅田の花火

伊能図・時空を超えた旅へ

外を歩き回りたい。けれど、新型コロナのおかげで、毎年GWに行っている城跡巡りの旅にも行けませんでした!。緊急事態宣言が延長となり、もう少し耐えるしかありません!

という事で、違った形のお城巡りにでも行ってようかと考えました。

2014年の夏に、中央区の浜町公園の体育館で、『伊能大図』の大展示があったのですが、その時に地図の写真を何枚か撮っていました。それを使い、行ったことのあるお城に再訪してみようかと思います。

まずは東北地方の、中央区と関係のある場所。何処だかわかりますでしょうか?

 伊能図・時空を超えた旅へ

中央区の友好都市・東根市の辺りです。地図の「蟹沢村」の辺りが新幹線の止まるさくらんぼ東根駅辺り、「宮崎」と書かれた辺りがローカル駅の東根駅辺りになります。東京方面は南なので右側です。

伊能忠敬の測量隊の旅は、1800年の第1次測量から1816年の第10次まで、17年に及びました。東根市を通ったのは、1802年の第3次測量の時。江戸から北上し青森まで行って日本海側の海岸沿いを南下、新潟から江戸に帰っています。

地図には『赤い線』が書かれていますが、これは測量隊が歩いたところで、地名の上にある『赤い』は宿駅を意味します。宮崎と六田にはがありますね。実際に宮崎では泊まっています。

また、宮崎の下にある『赤い』ですが、これは夜に天体観測をしたことを示しています。測量隊は、現地点(経緯度)を把握するために星の観測も行っていました。昼に歩いて夜は空を仰ぐ。忙しい旅だったに違いありません。

また地図の左下には、方位が書かれた円があります。実はこの円には違う用途もあります。

伊能大図は巨大なため、見るときは何枚もの紙を合わせる必要があります。そのため、紙の接合部にそれぞれ半円を書いて、紙と紙を合わせる時にこの半円を合わせていたのです。第9次測量の伊豆諸島部分を見ると一目瞭然です。

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ちなみに肝心の、「東根に城跡はあるのか」という点ですが、長瀞城という城跡があります。忠敬が歩いた時代には小藩の長瀞藩があり、藩主の米津氏はそこを屋敷としていたようです。

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長瀞城址(2015)

伊能図にも宮崎の左下に小さく書かれていますが、今は静かな住宅街になっています。グーグルマップで見れば現在も残る方形の街並みと水堀を確認することができます。

 

次はこの場所、中国地方です。かなりの情報量ですがどこだかわかりますでしょうか?

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岡山城のあるあたりです。実は、中央区の交流都市である岡山県玉野市がこの地図のさらに下、南あたりにあるはずで、この時『玉野』の文字を一生懸命探しました。ですが結局見つけられず、それよりも行ったことのある岡山城辺りが気になり、川沿いの城を中心に岡山の街を撮った、というわけです。

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岡山城(2012)

ちなみに『玉野』の名前ですが、後で調べたところ戦後に生まれた名前であることがわかりました。見つけられないのは当然です。

測量隊がこの岡山を初めて通ったのは第5次測量の1806年。お正月をここで過ごしています。この頃は、幕府の援助も厚くなっていて、幕府は各藩諸国にその土地の情報を出すように命じています。しかし藩の中には国防上それを嫌うところもあったようで、地図情報の記載が薄くなっている藩もあります。ですがこの岡山の地図をみる限り、物凄い文字の数なので、測量事業に対して好意的だったように思われます。

地図を見て面白い場所は、地図右下の辺り。測量隊の『赤い線』が海の上を歩いています。

調べてみたところ、岡山は江戸時代、洪水対策のための大規模な放水路建設とその放水先の海の干拓事業を行っていました。淡水と海水を分けるために築かれた堰の上を、測量隊は歩いていたのです。

地図を見ていると、今の東京の街づくりに似ているなぁと思いました。堰の上の赤い線は東京でいえば深川辺りになりましょうか。江戸辺りの伊能図も載せておきます。拡大図は中央区・隅田川の河口あたりです。永代橋も書かれていますが、見つけられますでしょうか。

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ちなみに伊能図作成の旅では、お分かりと思いますが海岸線だけを歩いていたわけではなく、主要幹線も測量しています。また、測量していない道は地図に書かれていません。五街道の起点となる日本橋は何処だかわかりますか?

 

次は九州です。お城と言えばやっぱりここでしょう。

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中央区の浜町公園の場所はかつて、肥後熊本藩の下屋敷があった場所。そう、細川氏の居城・熊本城です。この辺りには第7次測量で1810年に初めて訪れています。

伊能隊も圧倒されたのでしょう。加藤清正によって建てられた熊本城の素晴らしい石垣と数々のやぐらを地図の中にも表現しています。

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熊本城宇土櫓(2011)

熊本城は、南にある薩摩の国を仮想敵として設計されたともいわれ、天守の南側の防御を特に厚くしています。関ヶ原の戦いでは、加藤清正が家康の率いる東軍、島津家の薩摩は三成側の西軍だったからです。地図でいうと右側が南側の薩摩方面になります。

熊本城からは4つの街道がのびています。肥後と薩摩の間は「薩摩街道」で結ばれ、薩摩の参勤交代や篤姫が江戸に向かった際にも通りました。道は、城の偉大さを見せつけるために、わざわざ熊本城の敷地の中に通していたのだといいますが、その道はどの道だったのかなぁ、なんて探してみるのも面白いものです。

 

次は広島城のある広島・・・の地図も撮っていたのですが、いい加減にやめておきます。

 伊能図・時空を超えた旅へ

広島城(2014)

こんな感じで、伊能図があれば全国各地を歩けてしまいます。

GWにはできなかった帰省や行楽を、時空を超えて堪能する。この機会に伊能図を使って全国を歩き回ってみてはいかがでしょうか。

伊能図がみられるサイトは、忠敬の故郷・佐原のある香取市のホームページにまとめられていますので、そこから探してみるのが良いかと思います。

香取市のホームページ⇒ ★★こちら★★

その中にある国土地理院のページが一番探しやすいかもしれません。

  国土地理院  ⇒   ★★こちら★★

伊能図をもっと知りたい方

伊能忠敬e史料館 ⇒ ★★こちら★★

 

以上なのですが、

「あんまり中央区に関係なくない?」

「誠にモウシワケゴザイマセン。」