Hanes

【遠足シリーズ第13弾】足元からオシャレを♪
「成功者」の人生に見る日本の製靴産業史


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です^^
皆さんはどのような連休をお過ごしでしょうか?
連休初日は冷え込みましたが、翌日には天気が回復し、外出した方も多かったのではないでしょうか。

そんな外出時に欠かせないものの一つが、
仕事用、ウォーキング・ランニング用、山登り用、デート用等、用途に合わせて異なる靴を履いて出かけられると思いますが、新しい靴やお気に入りの靴を履くと、気分が高まりませんか?
ということで、今回は身近な「靴」に焦点を当て、中央区の歴史を繙きます

靴業発祥の地

靴業発祥の地 【遠足シリーズ第13弾】足元からオシャレを♪「成功者」の人生に見る日本の製靴産業史


入船橋交差点の北東の角には、「靴業発祥の地」という碑があります。
明治初期、ここには西村勝三が1870年3月15日に創業した伊勢勝造靴場がありました。
佐倉藩主堀田正倫渋澤栄一の支援を受けて創業・大成したこの工場の場所...実は長年不明でした。
しかし、浅草トロット製靴株式会社の稲川社長の長年の調査により、明治六年の沽券図に「入船五丁目一番、千五百坪、金千九百円、西村勝三」という記載が発見され、1985年3月、日本靴連盟によりこの碑が建てられるに至りました。

靴業に加え、耐火煉瓦、ガラス、メリヤス、洋服業といった多くの近代産業に着手し、「和魂洋才」と称された彼...
順風満帆な人生を歩んだかのように見えますが、常に「成功者」であったのでしょうか。

「成功」~時代に左右された波乱の先にあったもの~

それではここで、彼の人生を簡単に見てみましょう。

 【遠足シリーズ第13弾】足元からオシャレを♪「成功者」の人生に見る日本の製靴産業史

(清水正雄『東京 築地居留地百話』(冬青社、2007年)をもとに筆者作成)


若い頃に挫折を味わいながらも、海外のことと金儲けには関心および野心があったようです。
製靴産業における成功者のイメージが強いだけに、中央区にあった2つの牢獄に入れられたことがあるというのには驚きました!

 【遠足シリーズ第13弾】足元からオシャレを♪「成功者」の人生に見る日本の製靴産業史

(清水正雄『東京 築地居留地百話』(冬青社、2007年)をもとに筆者作成)


これ以降、当時佐倉藩にいた兄の茂樹(明六社を興した一人、貴族院議員)から、失業した藩の子弟たちに仕事を与えるために、授産事業をするよう求められ、1869年には弟らと相談し、入船町に煉瓦造り2階建ての工場1棟と西洋館の事務所1棟を建てます。
そして、碑にも刻まれている1870年3月15日には、ようやく兵部省公認の製靴工場の看板を掲げることができました。
靴については素人だったため、藩浩(清国人)、ルボウスキー(ドイツ人)、レマルシャン(オランダ人)等を教師に迎え、日本人に合う軍靴造りに励んだと記録に残っています。

その後は、徴兵令発布、西南戦争、日清戦争、日露戦争といった出来事に影響を受けることになりますが、軍靴の需要は高まり、工場の規模も拡大!
1884年には現在の中央区役所の場所に本店を構え、銀座に営業所を置きました。
また、悲願だった原料革の国産化に成功し、現代にも残る会社へと生まれ変わりました。

その会社の店舗には何度も行ったことがありますが、さて、どの会社なのでしょうか^^?
気になる方は先輩特派員ジミニ―☆クリケットさんのこちらの記事をご覧ください
思いがけない発見がいくつもあるはずです。(特派員になる前に読んで非常に勉強になりました。)

 【遠足シリーズ第13弾】足元からオシャレを♪「成功者」の人生に見る日本の製靴産業史

(佐倉市にて筆者撮影)


ここまで西村が製靴産業を確固たるものにするまでを簡単に見てきました。
その結果、巨万の富を得ただけでなく、日本の近代化に多大なる貢献をした事業者の成功は、数々の苦難を乗り越えた末の賜物だと分かりました。

そしてその成功は、たびたび後押しをしてきた佐倉藩なしには語れません。
その本拠地となる千葉県佐倉市には、彼の像があり、華々しい業績についても知ることができます。
本記事の最初の写真にあるように、どのような靴を履いているのかも要チェックです^^

様々な産業が興り、諸外国の物々がいち早く普及したと言っても過言ではない中央区は、お雇い外国人のみならず、日本の近代化を支えた日本人実業家のエピソードの宝庫です。
今後も興味深いエピソードをご紹介できればと思います!

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