人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑮
~ 竹森神社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をボールドに取材します、rosemary sea です。
「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、第15回の今回は、竹森神社(たけもりじんじゃ)をご紹介します。
なお、こちらはこのシリーズ中、5月26日の「茶ノ木神社」に引き続き、『植物名の神社シリーズ』の第2弾とさせていただきます。
そして、これよりこの「人形町駅から行ける、・・・」シリーズは、植物の名の付く神社が続きます。
それでは・・・
御由緒
小伝馬町3丁目の守護神である「竹森神社」は、江戸時代よりこの付近に竹やぶが多く、『竹につながる町』、『竹職人の町』ともいわれ、竹やぶにちなんで「竹森神社」としたと言われている。
神体は伏見稲荷からもらいうけ、俗に「江戸七森」のひとつに数えられて、江戸市中、数多い稲荷神社の中で由緒深いものとされている。
江戸七森
椙森(すぎのもり) 堀留
烏森(からすもり) 新橋
初音森(はつねのもり) 馬喰町
柳森 柳原土手
あずまの森 向島
笹森(ささのもり) 谷中
竹森 小伝馬町
左隣りには「中央区 龍閑(りゅうかん)児童遊園」があります。
しかしこの付近一帯、今は竹が見当たりません。
狛狐は金網で囲われています。
今回も江戸古典落語をご披露します。第8回となります。
今回は竹森神社の「竹」つながりで、「竹の水仙」をご紹介します。
まずは登場人物からご案内します。
左甚五郎(ひだり じんごろう)・・・
江戸初期の名工、彫刻職人。
日光東照宮の眠り猫などで有名です。
一説によれば播州明石の生まれ、飛騨高山で暮らした後に京に上り、御所や寺社建築に携わる。
その後江戸に出て幕府の堂営大工の棟梁として名を馳せた、とされています。
なお、甚五郎江戸滞在中の落語噺は「三井の大黒」として“駿河町の三井”、いわゆる“越後屋”、すなわち現在の日本橋室町の三越百貨店が登場するもの。
(諸説ありまして、越後屋との時代の違いも指摘されています。)
また、「左甚五郎」は、講談や浪曲にも登場します。
そして「竹の花」につきまして・・・
竹は寿命を迎えると、稲に似た花を咲かせて枯れる、と言われています。
それでは・・・
「竹の水仙」
左甚五郎が東海道を京より江戸へ下る途中の、旅籠(はたご)でのお話。
江戸表、駿河町の三井八郎右衛門の使いより「大黒」を彫る仕事の手付30両を受けていたが、この旅籠に着くまでに遣い果して一文無し。
それでも毎日朝から酒を飲み長逗留。
宿の主から宿賃を催促されると、竹藪から竹を切ってきて、それを細工し、見事な竹の水仙を作った。
甚五郎は宿主に、「この竹の水仙を宿の大黒柱のところに置いて、昼3度夜3度、水を注しなさい」と。
また「これを買いたいと申す者が来れば、町人なら50両、侍なら100両、びた一文も負けてはならない」とも。
翌朝、見事な水仙が花開きます。
早速これが長州毛利公の目にとまり、100両で売れます。
これを聞いた甚五郎、「惜しいことをした。毛利様なら300両でも良かった」と。
50両を宿賃として支払い、明日旅立つ旨を告げます。
宿主、「もう少し逗留されて、竹の水仙を咲かせてください」
甚五郎、一言。「竹に花を咲かせると、寿命が縮まる」
竹森神社
日本橋小伝馬町19-4
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 A4出口の人形町交差点方面を出て人形町通りを右、車の一方通行方向へ進む。
「小伝馬町」の信号交差点(ここが小伝馬町駅)を江戸通りへ右折、約280m、「鞍掛橋(くらかけばし)」の信号交差点(ファミリーマートさん角)を左折、約120m左側。
人形町駅より12分、小伝馬町駅より5分。