人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.23
~ 濱町神社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をソフィスティケーテッドに取材します、rosemary sea です。
「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、第23回の今回は、濱町神社(はまちょうじんじゃ)をご紹介します。
それでは・・・
濱町神社は、昔時、天明年間(1781年~1789年)に、島津家下屋敷庭内の守護神にして、島津稲荷大神として、奉齋してありしを、明治20年(1887年)同所を分譲地として浜町3丁目となりて後も、引き続いて厚く奉齋せり。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災に於いて、ご社殿その他を烏有に帰して(うゆうにきして:火災ですべてなくなって)その後、昭和3年(1928年)5月ご社殿を再建の際、当時、神田区西福田町に鎮座せる、山田稲荷を合祀して稲荷神社と改称する。
その後、戦災に依り、不幸にも、再度消失す。
故に、昭和27年、発起人有志多数の協賛を得、町内各位の浄財に依り神社を再建し、昭和28年(1953年)3月15日、名称も濱町神社と改称する。
当地区の再開発に伴い、平成12年(2005年)4月12日、濱町神社の遷座祭を行い、現在の様式にて、再建する。
稲荷神社の御祭神である稲荷大神(倉稲魂神)は、五穀豊穣、産業興隆、家内安全、商売繁盛、子孫繁栄、学業成就、交通安全、火災除け、災難除けの神様としてのご利益も伝えられています。
境内社として「陶栄神社(とうえいじんじゃ)」が右側にございます。
陶磁器の神を祀っています。
御祭神は、
〇 埴安大神(はにやすのおおかみ)
〇 加藤四朗左衛門景正命(かとうしろうざえもんかげまさみこと)
〇 加藤民吉命(かとうたみよしみこと)
となっておりますが、「加藤四朗左衛門景正」は鎌倉時代の陶工・瀬戸焼の開祖、「加藤民吉」は江戸時代の陶工・磁器の開祖、とのこと。
昭和44年(1969年)に再建されたようです。
今回も江戸古典落語をご披露します。
第15回の今回は「濱町神社」の「浜」つながりを考えましたが・・・。
有名な「芝浜(しばはま)」は7月9日掲載、第11回の「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」【富澤稲荷神社】でご披露済ですので、「瀬戸物」つながりに変更しました。
「厩火事(うまやかじ)」をお送りします。
<事前確認コーナー>
髪結いの亭主・・・
髪結いの仕事をしている女性を妻に持つ男性、自分では働かずに妻の収入で養われている様子。
4人の月極め客を持っていれば1両近くの月収となり、それだけで1年分の長屋家賃・店賃に相当することも。
結構高収入な職業だったようです。
今回の噺にはまさに「髪結いの亭主」が登場します。
「厩火事」
髪結いのお崎の亭主・八五郎は昼間から酒を飲み、働こうとしません。
なのにお崎の帰りが遅いと文句を言うものだから、いつも夫婦喧嘩が絶えません。
お崎は仲人に相談に行きます。
仲人には「別れなさい」と助言されますが、かえって亭主をかばう始末。
それなら、と、仲人は話します。
まずは唐(もろもし)の孔子の話。
孔子の留守中に厩が火事になり、最も可愛がっていた白馬が焼死。
帰ってきた孔子は門弟や家人の体を心配するが、白馬のことは何も咎めませんでした。
師に対する信望は高まりました。
続いて瀬戸物に凝っている麹町のさる屋敷の旦那の話。
蒐集品を客に見せた後、その瀬戸物を女房が片付けようとして階段で転んだ際。
旦那は「瀬戸物は大丈夫か」しか言わず、「けがはなかったか」とは一言も言いませんでした。
結果、女房からはあいそをつかされ、離縁してくれと言われてしまいます。
仲人はお崎に、亭主が大事にしている瀬戸物を壊してみたら、と。
帰って台所で皿を持って転びますと、八五郎、「けがはないか?」
ただ、その後に、
「お前がけがをしたら、明日から遊んで酒を飲んでいられない」と。
ここ「濱町神社」は、8月4日記事でご紹介しました「東京メトロ×Spot Tour とっておきのオススメスポット(スマホで回れるまち歩き)」の「水天宮前駅」コースのスタンプスポットのひとつとなっています。
ロズマリ考案の「人形町駅」コースとともに、「水天宮前駅」コースもお楽しみください。
濱町神社
日本橋浜町3-3-3 トルナーレ日本橋浜町
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 A2出口を出て、目前の「人形町通り」を車の一方通行の反対へ、つまり右へ約150m。
「水天宮前」の信号交差点を「新大橋通り」へ左折、約400m右側にあります。